Saturday, May 28, 2011

19/05 編集手帳

5月19日付 

 端唄の文句にある。〈竹ならば割ってみせたいわたしの心――なかは色気と欲ばかり〉。「竹を割ったような」は気性のさっぱりした人に用いる形容であり、誠意や真心が詰まっているように思わせて、逆を突いたところが趣向だろう◆竹をスパッと割るがごとく、原発事故に関する情報はすべて開示する。政府は国民にそう約束してきた。信用したいところだが、こういう発言を聞けば「なかは矛盾と謎ばかり」になる◆東京電力が4月に放射性物質の汚染水を海に放出した措置は、内閣官房参与で劇作家の平田オリザ氏によれば「米国政府の強い要請」によるものだったという。ソウル市内で催された講演会で語った。初耳の話である◆事実ならば、政府は情報を発信する「時」と「場所」を間違えている。誰もが影響を心配するほどの重大な決断に至った経緯は、汚染水の放出時に、海外の聴衆ではなく、漁業関係者を含む日本の国民に真っ先に明かされるべき事柄だろう。事実でないならば、政府のお粗末な発信機能に何をか言わんやである◆竹は竹でも真相が「藪
やぶ
の中」では、情報開示の名にも値しない。

(2011年5月19日01時07分 読売新聞)

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