Friday, June 10, 2011

10/06 余録:英語の俗語辞書を見ると「ホットスポット」は…

 英語の俗語辞書を見ると「ホットスポット」は「窮地」や「やっかいごと」という意味で日常会話に使われるようだ。たとえば「ちょっと困ってるんだ」は<I am in a hot spot>という感じらしい▲「絶滅の恐れがある珍しい生物種が集中して生息している地域」という意味のホットスポットは、最近のNHKの野生生物のドキュメンタリー番組で知られるようになった。一方、国際政治では戦争や革命、流血の危機をはらむ紛争地域を指すホットスポットである▲「DNAの組み換えや突然変異の生じやすい部分」「海洋底のマグマの噴出口」「山火事の頻発する地帯」「ネットに無線接続できる所」などさまざまなホットスポットがあるが、ことやっかいという点で他に劣らないのは「異常に放射能汚染度の高い地域」だろう▲この言葉が耳目を集めるのは、原発事故では現場から遠くとも局所的に高い放射線量を示す場所があるのが知られるようになったからだ。チェルノブイリ原発事故で300キロも離れた場所の住民が強制移住となった例が引かれ、首都圏住民からも不安の声が聞こえる▲これに応え市町村や民間の団体で独自に放射線量計測に乗り出すところが増えている。また東京都は新宿区の都施設でのみ行っていた測定を都内全域100カ所で行い、結果を公表するという。ならば国がもっときめ細かなモニタリング体制を作れないものだろうか▲進行中の原発災害の下で暮らす住民ならば、当然知りたい身近なリスクである。そんな切実な関心や不安に応えようとしない政府への不信が、疑心暗鬼のホットスポットにならぬよう願う。
毎日新聞 2011年6月10日 東京朝刊

10/06 よみうり寸評 - 東日本大震災の発生から3か月を迎える


6月10日付

あすは6・11。東日本大震災の発生から3か月を迎える。いまなお避難生活を強いられている人が9万1523人(9日現在)◆この数字の背景には、仮設住宅の建設、入居が進まないことがある。進まないといえば、瓦礫がれきの撤去はさらに難しい状況だ。岩手、宮城、福島3県で発生した膨大な瓦礫のうち撤去されたのは、わずか18%にとどまる◆加えて東電福島第一原発の事故は収束の見通しが定かでない。復興の足取りは重い。そんな9日、衆院の震災復興特別委員会で、菅首相がこんな発言をした◆「仮設住宅に入った人が生活できること、瓦礫の処理、原発事故の収束に一定のメドがつくまで責任を持って仕事をしたい」◆「瓦礫処理は8月中に搬出を目標」とも述べたので〈首相、8月まで続投意欲〉と報じられた。原発事故収束も含めれば、さらに先への延命意欲とも読める◆「ここまでくるともはや〈危機管理〉の問題ではなく、〈菅理危機〉だ」と中曽根元首相(「菅直人君に引導を渡す」文芸春秋7月号)。
(2011年6月10日14時13分  読売新聞)

10/06 編集手帳 - 民主党内もまとめきれぬ菅首相は求心力を完全になくしているのに、「退けぇ!」が言えず


6月10日付

二つのセリフを知っていれば、時代劇の敵役はこなせる。生涯に300本ほどの映画に出演した俳優の故・阿部九州男くすおさんは生前、そう語ったという。映画監督の瀬川昌治さんが本紙東京版のコラム「とうきょう異聞」で回想していた◆二つのセリフとは〈退けぇ! 退けぇ!〉と〈かねての手配通り、よいな〉であったそうで、阿部さんの発言にはマンネリに陥った時代劇への皮肉が込められていたと、瀬川さんは言う◆いまの政局には、しかし、阿部さんの挙げた二つのセリフさえ、まともにしゃべれる役者はいないようである◆民主党内もまとめきれぬ菅首相は求心力を完全になくしているのに、「退けぇ!」が言えず、政権の延命に汲々きゅうきゅうとしている。退陣を迫る側には、政治資金疑惑で冷や飯を食わされた怨念をここぞとばかりに晴らしたい“動機不純”な勢力もいて、「かねての手配通り…」のセリフが言える一致結束にはほど遠い◆鞍馬天狗くらまてんぐも桃太郎侍も見あたらず、守るも攻めるも敵役の政局劇だが、はっきりしていることが一つある。退陣が遅れるほど混迷は深まる。ここはやはり、「退けぇ!」だろう。
(2011年6月10日01時20分  読売新聞)

09/06 余録:幕末から明治に来日した西欧人は…

 幕末から明治に来日した西欧人は、風呂の混浴とともに街中で裸に近い姿をさらす日本人に眉をひそめた。ある米国人女性教師は、半裸の人々を見て「この国にはいったい文明が存在するのか」と疑いあきれる外国人旅行者の姿を記している▲だが彼女によれば、そういう人もすぐ半裸の人々の間に行き渡っている行儀作法に気づき、日本の旅館の清潔さや心地よいサービスに感心したという。そこには西欧とタイプは違うが、高い文明が存在しているのを知るのだ。裸を恥じないのはその文明の一面だった▲江戸時代、高温多湿の夏を過ごす日本人にとって男女とも半裸での労働やくつろぎは当たり前だった。明治になって外国人の目をはばかり、裸姿は禁じられる。欧州の衣食住が「文明」の基準とされた日本の近代化である▲こうして盛夏も冷涼な欧州生まれの背広姿で働くことに慣らされた日本人だった。エアコンの登場で以前のような汗まみれは免れていたのが、この間の地球温暖化対策に加えて今夏の電力不足だ。はてさて明治以来の夏の服装革命となるのか、スーパークールビズだ▲職場でのポロシャツやスニーカー、アロハや無地TシャツもOKという環境省の音頭取りはご存じの通りだ。各地の自治体で積極的に導入が進む一方、二の足を踏む企業も多い。だがここに来て一部大手銀行でポロシャツにチノパンでの勤務を認めるところも現れた▲いくらスーパーでも半裸姿には戻れないが、節電を機会に日本の夏にふさわしい新たなライフスタイルを探るのも楽しい。今ならばどんな外国人もそれを高度な文明の営みだと直ちに認めよう。
毎日新聞 2011年6月9日 東京朝刊

08/06 余録:その昔、コンゴの人は大祭司チトメが…

 その昔、コンゴの人は大祭司チトメが病死して霊力が失われると大地は死滅すると信じた。では彼が病に倒れそうになると、どうしたか。その後継者がこん棒を手にチトメの家を訪れて殺したという。フレーザーの「金枝篇」にある話である▲それによると、かつてのアフリカの部族などでは霊力の衰えた王は部族全体を危うくすると信じられた。このために白髪が生えただけで殺される王もいたという。ついには衰えが表れる前に取り換えようということになる▲なんとフレーザーは1年ごとに王を殺しては次の王を立てる土地もあったと述べている。そんなことで王のなり手がいたかどうかは知らない。だが、こと現代日本では次から次に1年王が現れる。こちらはそれぞれ1年間で本当に霊力をすべて使い果たしての交代だ▲実は1年前に菅政権が発足した時も「金枝篇」にふれ、くれぐれも短期政権の轍(てつ)を踏まぬようにご忠告申し上げている。なのにというべきか、案の定というべきか。その退陣時期や後継の与野党大連立構想をめぐる政界の喧々囂々(けんけんごうごう)たる騒ぎの中で迎える1周年である▲だが驚くべきは、それが1年前には予想もつかなかった大震災の惨禍のさなかの騒動という点である。国民がどうなろうと、世がどうあろうと、まるで歳時記の年中行事のように繰り返される政権交代劇だ。首相の霊力は1年もたず、後継候補はこん棒に手をかける▲何より深刻なのは、名の挙がるどの後継候補の霊力も政治に再生の息吹を与えるほど強いようには見えないことである。そう、「1年王」を繰り返すうちに日本政治の霊力が尽きかけているのだ。
毎日新聞 2011年6月8日 東京朝刊

07/06 余録:「もしドラ」こと「もし高校野球の女子マネージャーが…

 「もしドラ」こと「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」ですっかり有名になった経営学の大御所P・ドラッカーの主著「マネジメント」だ。その一節である▲「アメとムチによるマネジメントはもはや有効ではない。……マネジメントの手に、もはやムチはない。アメさえ人を動かす誘因となりえなくなった」。ドラッカーは現代社会の組織にあって人を強制によって動かすのはマネジメントの名に値しないというのである▲大阪府内の公立学校の教職員に行事の際に君が代を起立して斉唱するよう義務づける条例が先ごろ府議会で成立した。橋下徹知事が代表を務める首長政党が提案した条例で、知事は条例での義務化は「思想良心ではなく、組織マネジメントの問題だ」と説明している▲おりしも学校長の起立斉唱命令を合憲と認めつつ、強制には慎重さを求める補足意見も付した最高裁判決が先ごろあった。国歌や国旗にごく自然に敬意を表するマナーはすでに社会の奥深く浸透しているのに、組織管理を振りかざしての突然の力業はやぼではないか▲府議会では自民党も反対した条例化だった。こと組織マネジメントが問題ならば、条例による一律の強制はむしろその無能を示すものに違いない。ドラッカーがいうマネジメントの課題は「誰もが自らをマネジメントの一員と見なす組織を作り上げる」ことである▲知事は違反者への免職もふくむ処分条例案提出を検討中という。「人が最大の資産」もドラッカーの言葉だ。高校野球の女子マネにマネジメントを学ばねばならぬ教育界にならないよう願う。
毎日新聞 2011年6月7日 東京朝刊

05/06 余録:どちらに逃げればいいのか…(和英)

どちらに逃げればいいのかわからない。手を引かれて高台にたどりつき初めて津波を知った人もいるという。避難所でも情報が届かず孤立しがちだ。そうした聴覚障害者にとって「3・13」は記念すべき日になった▲首相官邸での官房長官会見に手話通訳が登場したのだ。弱者に優しい民主党の面目躍如である。ところが、この手話通訳付き会見、さぞや好評かと思ったらそうでもないらしい。「まったく理解できなかった」「少しだけ理解できた」という聴覚障害者が7割近くに上ったというアンケート結果がある▲さまざまな理由の中で気になったのが「距離」と「表情」だ。通訳者が官房長官から離れて立っているのでテレビ画面には小さくしか映らない。そのため表情がよく見えないというのだ。手話の種類によって表情は文法と深い関係があり、手の動きを見ているだけでは意味が伝わらないという▲話し言葉でも表情や声の調子は重要な役割を果たしている。どこにアクセントを置くかで「辞めない」は否定にも疑問にもなる。声や表情だけでなく相手との関係性によってもニュアンスは異なる。本当の意味を伝えあうためには、言葉の土台にある感情や信頼が重要なのだ▲税と社会保障改革で野党に協議を呼びかけてもうまくいかず、電話で自民党総裁に入閣を要請し怒りを買う。不信任決議案をめぐる騒動もそうだ。野党時代は論客で鳴らしたはずなのに菅直人首相のコミュニケーション不全は深刻だ▲首相並びに官房長官は「距離」や「表情」を考えてみてはどうか。手話に熟練した人は通訳の指よりも表情を見ながら意味を読むという

英訳

毎日新聞 2011年6月6日 東京朝刊



Yoroku

Sign-language interpreter problems echo Kan's poor communication skills


Following the massive earthquake that hit eastern Japan on March 11, many hearing-impaired people had no idea in what direction they should be heading to escape. Some only learned of impending tsunami after they reached higher ground, having been led by the hand by someone else. They often found themselves isolated at evacuation shelters, where they faced extra challenges in obtaining information. For such people, March 13 was a momentous day.

It was this day, two days after the quake and tsunami, that sign-language interpreters made their debut at press conferences held by Chief Cabinet Secretary Yukio Edano at the Prime Minister's Office. It was an example of the Democratic Party of Japan (DPJ) government living up to the party's self-proclaimed identity as a party with "compassion toward the underdog."

Able-bodied viewers may have assumed that these interpreted press conferences have been well-received by those who need them, but that doesn't necessarily appear to be the case.

According to one survey, nearly 70 percent of hearing-impaired respondents said that either they "could not understand the press conferences at all," or that they "could only understand part of the press conferences" signed by interpreters.

Of the various reasons for these survey results, "distance" and "expression" are most striking. Because the interpreters are positioned some distance away from Edano during their appearances, their image on the television screen ends up being rather small. As a result, viewers cannot get a close look at the interpreters' facial expressions.

Because facial expressions and grammar are deeply intertwined in sign language, an interpreter's hand movements alone do not provide the viewer with enough information.

In spoken Japanese, too, facial expressions and tone of voice play an important role. For example, depending on where we choose to place an accent, the words "will not resign" can be either a statement or a question. In addition to voice and expressions, nuance can differ depending on the relationship between the speaker and the listener. In getting one's true intentions across, the emotions and trust that comprise the foundations of language are extremely important.

It was not long ago that after failing to bring opposition parties to the negotiation table concerning taxes and the social welfare reform, Prime Minister Naoto Kan incurred the wrath of Liberal Democratic Party (LDP) President Sadakazu Tanigaki by asking him via phone to consider joining the Cabinet. Kan's lack of communication skills was also the cause of the recent no-confidence motion fiasco. The communication incompetence of Kan -- who at one time during his years as an opposition lawmaker was famous for being a powerful debater -- is serious.

Both Kan and Edano would do well to pay attention to "distance" and "expression." After all, those well-versed in sign language say that ultimately, they look for meaning not so much in the movement of one's fingers, but in the expressions. ("Yoroku," a front-page column in the Mainichi Shimbun)

Click here for the original Japanese story

(Mainichi Japan) June 6, 2011

05/06 余録:男のやさしさは袷仕立て、と言ったのは…

 男のやさしさは袷(あわせ)仕立て、と言ったのは向田邦子さんである。人間としてのかなしみやはにかみの裏打ちがあるという。むろん口には出さずに、しぐさで語るやさしさでなければならない▲岡山県倉敷市のNPO法人「たけのこ村」の万年やりくり助役、藤岡博昭さん(83)は、そんなやさしさに筋金を通して生きてきた一人だろう。中学校の養護学級の教師を辞め、34年前に知的障害者の自立をめざし村を開いた。オイルショックなどで教え子が次々と職場を追われるやむにやまれぬ事情があった▲村の人口はわずか8人だが、障害者と健常者が支えあい、畑を耕し、備前焼や埴輪(はにわ)を焼いて暮らしている。「たけのこ村をふるさとにして」。大震災で肉親を奪われた障害のある子どもに向け村民たちが呼びかけている、と1月ほど前の小欄で伝えた▲とはいえいまだ10万人近くの避難生活を強いる大震災である。「救いのコンベヤーからふるい落とされ、叫び声すら上げられない子どもがきっといる」。藤岡さんは先月末から今月初めにかけ宮城県石巻市などを歩き、被災地の声に寄り添い、互いにつながる大切さを肌で確かめた▲16年前の阪神大震災では、復興の陰で震災障害者が長らく置き去りにされた経緯がある。家族や住まい、仕事を一度に失い、心身に後遺症を負う被災者の暮らしがいかに過酷なものか。震災が原因で知的障害を負った人が少なからずいることも分かった▲助かった命を守り、育まねばならない。障害者への息の長い支援を見据え、藤岡さんはこれからも被災地を訪ねる覚悟だ。それが83歳の筋金入りのやさしさである。

毎日新聞 2011年6月5日 東京朝刊

04/06 余録:古代ギリシャのある国の人々が…

 古代ギリシャのある国の人々がデルフォイの神殿で戦勝の見込みについて神託を求めた。下された神託は侵攻先で「やかましい足音で踊れ」というものだった。戦勝の踊りの予言と思った人々はすぐにその地方に攻め込んだが、意外にも敗北する▲敗兵は足を鎖につながれ、奴隷とされた。鎖の音、それが「やかましい足音」だった。「デルフォイの神託」は、今日でもさまざまに解釈できる言葉のたとえとされる。実はこの神託、時代を下ると神官がギリシャ全土に配置した密偵の情報をもとに作られたという▲場合によって神官が賄賂をもらい、相談者の情報を政敵にもらしたりしていたというから油断ならない。つまりデルフォイは諸国や諸勢力間の情報戦の舞台で、あいまいな神託が政治的駆け引きの結果だったこともあろう▲さて菅直人首相の早期退陣とひきかえに不信任案否決という党内抗争収拾の神託が下りたはずだった民主党だ。ところが首相は不信任案の否決後すぐに早期退陣を否定した。首相と共に神託を作ったという鳩山由紀夫前首相は菅氏を「ペテン師」呼ばわりする始末だ▲抗争収拾の神託とはいっても、実はそれぞれの政治的都合を切り張りした玉虫色の合意だ。首相の肩を持つつもりもないが、言葉の軽さと前言の撤回をさんざん見せた前首相の「首相のうそ」への非難も失笑を招こう。国民にとっては、どだい神殿の奥の密議である▲首相退陣をめぐる抗争はくすぶり続けるが、いいかげんに政治も少しは仕事をしてはどうか。政治家が耳を澄ますべきは怪しげな神託ではなく、国民、とりわけ今は被災地の声以外にはない。
毎日新聞 2011年6月4日 東京朝刊

03/06 余録:安元の大火、治承の辻風、養和の飢饉、元暦の大地震…

 安元の大火、治承の辻風(つじかぜ)、養和の飢饉(ききん)、元暦の大地震--天変地異があい次ぐなかでの源平争乱の乱世を生きた「方丈記」の鴨長明である。うち「山はくづれて河を埋(うず)み、海は傾きて陸地をひたせり」という元暦の地震は平家滅亡と同じ年だ▲長明は地震の惨状をつぶさに記し、おそれおののく人々のさまを描いたが、その後の世の様子についてこう結ぶ。「すなはちは人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり年経にしのちは言葉にかけて言ひ出(い)づる人だになし」▲地震当初、人々は世の無常を語り、心も清められたが、年月と共に元に戻って、そんな言葉も聞かれなくなったというのだ。だが、それにしても「心の濁り」が元に戻るのが早過ぎるだろうといいたくなるのはわが政界だ▲野党の菅内閣不信任決議案をめぐって党分裂かといわれた民主党である。危うく震災の被災地も原発事故も置いてきぼりで、明日をも知れぬ政争に突入するところだった。辛うじてそれが避けられたのは、「めど」という言葉のあいまいさの功徳というべきだろうか▲菅直人首相は「震災と原発事故の対応にめどがついたら退陣」との意向を表明して造反派をなだめ、決議案否決にこぎつけた。ならば「めど」とはいつつくのか。退陣を約束した首相がこの難局に当たれるのか。震災対策以外の政治課題は置き去りか。疑問続出だ▲権力争奪にかかわる「心の濁り」ばかりは目前の惨禍を見ても清められないらしい。「被災者のため」という名分で相手をおとしめ合う政争を国民がどんな目で見たか、少しは畏れてもらいたい。
毎日新聞 2011年6月3日 東京朝刊

02/06 余録:正岡子規の忌日(9月19日)を糸瓜忌というのは…

 正岡子規の忌日(9月19日)を糸瓜(へちま)忌というのは、その辞世<糸瓜咲て痰(たん)のつまりし仏かな><痰一斗糸瓜の水も間にあはず><をとゝひのへちまの水も取らざりき>の3句にちなんでという。ヘチマの水は痰や咳(せき)封じの呪力があるといわれていた▲先日も扇風機の話題で触れた子規の闘病だが、その病室の前にはヘチマ棚があった。妹の律は病床の子規のためにその視線に合わせて庭の草花を育てる。そしてヘチマ棚は身動きもままならぬ子規が上向きで寝たまま目を楽しませることができるように作られていた▲耐えがたい暑さだった夏の病床で、日差しをさえぎってくれた緑の棚だ。そのヘチマや、より育てやすいゴーヤやアサガオといったツル性植物が今また節電の夏に見直されている。そう、「グリーンカーテン」のブームだ▲ツル性植物を窓の外に張ったネットなどにはわせ、日差しをさえぎるとともに植物の出す水蒸気による蒸散作用で気温を下げるグリーンカーテンだ。もともと地球温暖化やヒートアイランド現象への対策として注目され、数年前から各地で静かなブームとなってきた▲そこに今夏の節電である。園芸店の多くではゴーヤの苗が入荷してもすぐ売り切れる状態となった。住民に苗を無料配布する自治体も多い。震災の被災地からも仙台市の仮設住宅でボランティアらによるグリーンカーテン作りが行われたとのニュースも伝わってきた▲個々の家ばかりでなく街全体の気温も抑えるというグリーンカーテンだが、目にも涼しげな緑ならではの癒やし効果を子規兄妹に学ぶのもいい。<棚の糸瓜思ふ処(ところ)へぶら下がる 子規>
毎日新聞 2011年6月2日 東京朝刊

01/06 余録:つぼに赤、黄、黒の玉が計90個入っている…

 つぼに赤、黄、黒の玉が計90個入っている。うち赤は30個だが黄と黒の数は不明だ。黄1個と黒59個かもしれないし、逆もありうる。このつぼでくじをする場合(1)赤を引けば賞金(2)黒を引けば賞金--あなたはどちらのくじを引きたいか▲はて前に似たような話を……と思った方、そう、以前紹介した数理経済学者のエルズバーグ博士の実験の別バージョンだ。実際(1)(2)どちらもくじを引く者には同じなのだが、実験では多くの人が当選確率を知る(1)を選んだ▲最近よく言われる「リスク」は(1)のくじのような当たり外れの確率の分かっている選択にかかわる危険だ。これに対し(2)のくじのように起こることの確率すら分からぬ事態については「不確実性」といわれる。人は計算できるリスクは受け入れても、不確実性を嫌う▲さて、この先も何が起こるか誰も分からぬ原発事故、専門家ごとにリスク評価の違う放射能災害、将来の暮らしの不安に心身共に疲れ切る被災者--どの局面を見てもまさに不確実性の渦巻く震災日本である。ここは不確実性封じ込めに政治が結束を見せる時だろう▲と思ったら仰天、政治自らが不確実性の大渦となりかねぬ内閣不信任案提出の動きだ。呼応する与党の一部もあると聞けば「政治は一寸先が闇」という権力闘争の不確実性が思い浮かぶ。この危機にあって日本政治の中枢に生じる闇を被災者や外国の人はどう見るのか▲菅政権の無能を野党はののしる。仮にその通りでも、今は不確実性の渦のただ中だ。有能か無能かすら分からぬ未知の政権より、よく見知った無能な政権の方がリスク計算できるだけましではないか。
毎日新聞 2011年6月1日 東京朝刊

31/05 余録:地震や火事が起きた時、大勢の人が先を争って…

 地震や火事が起きた時、大勢の人が先を争って逃げようとお互いを踏みつけたり押しつぶしたりするのがパニックのイメージだ。だが災害心理の専門家はそんな想定を「パニック神話」と呼んでいる▲現実の災害では、その手の集団的な異常行動が起こるのはまれだという。むしろパニック神話にとらわれた責任者が混乱を避けようと危険を軽視し、避難誘導が遅れて大惨事をもたらすケースが目立つそうだ(広瀬弘忠著「人はなぜ逃げおくれるのか」集英社新書)▲避難誘導がなかったのとパニック神話との関係は分からない。だがよくぞ全員がパニックも起こさず、ぎりぎりのタイミングで暗闇を脱出できたものだと冷や汗が出る。乗客の自主的な避難が大惨事を防いだ北海道のJR石勝線トンネル内での特急炎上事故であった▲結果的に乗客の避難誘導ができなかった乗務員の行動は、ほぼJR北海道のマニュアル通りというから皮肉である。規則では炎を目視できなければ「火災」とはいえない。乗客が危険を感じ避難を始めても、乗務員は「火災でない」との判断にとらわれ続けたようだ▲「エキスパート・エラー」は非常事態のプロがかえってその専門知識のために人々の避難行動を阻害するような誤判断を指す。災害や事故に対応する責任者は思い込みや規則にとらわれて目前の危険を見失ってはいけない▲そういえばつい先ごろも原発事故の放射性物質拡散予測データを「パニックになる」と公表しなかった政府関係者の釈明を聞いた。世の中には人のパニックを心配するより、自分らの判断の見当外れを心配せねばならぬ人たちが多すぎる。
毎日新聞 2011年5月31日 東京朝刊

30/05 余録:原発事故で「日本」というブランドが…

 原発事故で「日本」というブランドがすっかり傷ついた。「安全」「清潔」「ハイテク」……海外から見た日本の良いイメージだったが、「放射能汚染」という黒雲でまるで見えなくなってしまった▲「日本」ブランドが落ち込むとともに、「日本料理」もイメージダウンした。「ヘルシー」さがうけて世界中で和食ブームだったのに、各国で日本料理店の客足が落ちた。回転ずしの店頭には「ネタは日本から輸入していません」という張り紙も▲だが、ここにきて海外でも「立ち上がれ日本食」の動きが出てきた。場所は、600から800の和食飲食店があるという香港。まずラーメン業界が口火を切り「万人 食 拉麺(ラーメン)」(みんなで食べよう、ラーメン)キャンペーンを始めた▲ラーメンは中国の麺料理が原形だが、中国人は日本料理だと考えているのだ。だから日本で原発事故が起きて日本のイメージが悪化すると、香港の人々はラーメンに対する食欲が減退する。その結果、零細なラーメン店業界は打撃を受ける▲日本料理店や居酒屋などの業界も「愛 日本料理」運動で続いた。香港の和食食材はもともと九州方面から来ているが、地元の消費者にとっては九州も東北も同じ日本。不安をぬぐい去るために、すしの試食イベントや価格割引などで和食のイメージアップを図る。行政当局も中小企業優遇融資制度などで支援するそうだ▲さて、肝心の日本である。菅直人首相がG8サミットで「最高度の原子力安全」と言った。言葉が明確でも、これから結果をだせなければ信頼は取り戻せない。日本ブランド回復は、日本だけの問題ではない。

毎日新聞 2011年5月30日 東京朝刊

29/05 余録:菅直人首相がしばしば使う言葉…

 菅直人首相がしばしば使う言葉の一つに「つまりは……」がある。「要するに」という意味での「つまり」。若い頃からの口癖という。すぐいら立って「イラ菅」の異名を取る首相だ。つべこべ言わず早く結論を、というせっかちな性格が表れているようだ▲ところが、首相になってからは何かを説明する際に「ある意味で」と前置きすることが、がぜん増えた。こちらは断定や明言を避ける言葉。そこに首相の自信のなさが見て取れる気がするがどうだろう▲そう言えば、べらんめえ調で歯切れがよいのが売り物だった麻生太郎元首相も国会答弁では「何となく」とか「基本的には」を多用したものだ。これも物事をアバウトにくくり、具体的に言質を取られたくない時に使いたくなるフレーズである▲しかし、何といっても政界全体で最近、乱用されているのは「しっかり」だ。はしりは安倍晋三元首相だろう。06年秋、首相就任直後の記者会見で「しっかりと教育再生改革に取り組んでまいりたい」をはじめ26分間に32回、「しっかり」を繰り返し、それがニュースにもなったからご記憶の人も多かろう▲安倍氏に限らない。今や菅首相も枝野幸男官房長官も他の与野党幹部も「しっかり原発事故に対応する」「わが党としてしっかりまとまって」と日々乱発している。むしろ「しっかりする」自信がない時ほど用いていると思えるほどだ▲「しっかり」は「抜け目なく」という意味で使われることもある。手元の新明解国語辞典にはその用例として「ろくに働きもせずに給料だけはしっかりもらう」とある。政治家の「しっかり症候群」はしっかり監視しよう。
毎日新聞 2011年5月29日 東京朝刊

28/05 余録:願い事を書いて奉納する絵馬の発祥は…

 願い事を書いて奉納する絵馬の発祥は京都の貴船神社といわれる。鴨川の水源にあり、水をつかさどる神をまつる同神社には歴代天皇が馬を献じて祈願した。日照りで雨を降らせたい時は黒馬を、長雨を止めたい時は白馬か赤馬を奉納したのだ▲さてその霊験ゆえか祈願は度重なり、生きた馬に代えて馬形の板に着色した「板立馬」を奉納するようになったのが絵馬の起源という。降れば土砂降り、降らねば日照り--はツキから見放された人だが、絵馬の白黒で雨の降り方を加減できればどんなにいいだろう▲記録的に早い梅雨入りとなった近畿以西に続き、きのうは関東甲信と東海地方が梅雨入りした。両地方ともやはり昨年より17日早く、関東甲信では60年前の統計開始以来2番目、東海も同じく3番目に早い記録だ。東北地方の梅雨入りもこの調子で早まるのだろうか▲一方、南方海上では台風2号が沖縄から西日本をうかがう動きを見せる。上旬の台風1号に続き、2号も5月中に日本に接近するのは観測史上初だそうだ。梅雨前線を刺激すれば広い範囲で大雨になるおそれがあるという▲こう聞けば、震災後に土砂災害危険箇所の異常が1000カ所以上も見つかった被災地が心配になる。しかも危険箇所に隣接する避難所が約200カ所もあるというから、避難している人々の不安はいかばかりだろう。原発事故現場での大雨の影響も気がかりである▲震災後、東日本では大雨に伴う警報・注意報の基準が引き下げられている。かといって空梅雨になっても困る列島の暮らしだ。白黒何枚もの絵馬による加護が切実にほしい今年の梅雨である。
毎日新聞 2011年5月28日 東京朝刊

27/05 余録:「昇りや掘なさんな目に石が入る…

 「昇りや掘なさんな目に石が入る 卸(降)しや掘なさんな水がつく ゴットン」。福岡県・筑豊の炭坑で、掘り手の先山や掘った石炭を運ぶ後山らによって歌われたのがゴットン節だった▲ふんどし姿の男の先山と上半身裸の女の後山が寝そべって採炭する「寝掘り」の絵はこの間の報道でご覧になった方も多いだろう。絵には冒頭のゴットン節とともに「炭丈四五センチ位までは坐(すわ)って掘るが、それ以下は寝て掘る」などとある。炭粒が目に入りそうだ▲世界記憶遺産に登録される炭坑画家、山本作兵衛の作品でも有名な一点である。絵を描き始めた頃は女に衣をまとわせていた作兵衛に、暑い切り羽で衣を着ていられるかと詰問したのはかつて炭坑で働いていた女性だった。以後、彼は記憶のままの光景を描き続けた▲「七つ八つからカンテラさげて坑内さがるも親の罰 ゴットン」。7歳から炭坑仕事を手伝い、以後半世紀にわたり18炭坑で働いた作兵衛が絵を描き始めたのは還暦を過ぎてからだ。92歳で亡くなるまでに描き残したヤマの労働、暮らしは1000点を超えるという▲「覚えるも覚えよらんも、私がしちょったことですけ」。坑内の道具や子供の遊び、日用の品々まで、記憶の正確さに驚く人々に彼はそう答えた。先の女性をはじめ、明治から昭和の筑豊の炭坑で暮らした何十万もの人の記憶がのりうつったような作兵衛の筆であった▲日本の近代化を地の底から支えた人々が生きた現実はこの独創的画業なしには歴史の闇に埋もれたはずだ。「子孫にヤマの生活と人情を伝えたい」という志は今、確かに人類の記憶の殿堂に納められた。
毎日新聞 2011年5月27日 東京朝刊

26/05 余録:欧米の学者らの間では「ラショーモン・エフェクト」という…

 欧米の学者らの間では「ラショーモン・エフェクト」という言葉が使われる。日本語にすれば「羅生門効果」だ。そう、一つの事件をめぐる盗賊と武士、その妻の異なる証言を描いた黒澤明監督の映画「羅生門」から生まれた言葉である▲つまり一つの現象でも人の立場によってその見え方や説明の仕方はさまざまなことをいう。日本ではもっぱら芥川龍之介の原作の題名「藪(やぶ)の中」が、当事者の証言が食い違って真相が分からないことのたとえに用いられる▲だとすれば事故のあった三つの原子炉の一つ、その海水注入の一時中断の一事だけでもまるで多数のツルバラがこんがらがった大藪を思わせる。福島第1原発事故発生直後における首相官邸、原子力安全委員長、東京電力の発表の食い違いや発言訂正の騒動のことだ▲食い違う説明は誰かの責任逃れのせいかもしれないし、空前の事故の混乱の中の錯誤ゆえかもしれない。立場で物の見え方が異なる羅生門効果もあろう。今のような表面的責任追及がかえって真相歪曲(わいきょく)を招くこともある▲こうみれば原発事故全体の究明にあたる事故調査・検証委が立ち入らねばならぬ藪の深さに気が遠くなる。委員長になる失敗学の畑村洋太郎氏は失敗発生の脈絡を木や森にたとえたが、それこそ過去の原発政策までさかのぼる調査は藪どころか広大な森林探査となる▲未曽有の原発事故の真相究明は日本人に課せられた文明史的な責務といえよう。藪から誰か「犯人」を引っ張り出し、留飲を下げればすむのではない。多様な証言やデータから人類が教訓とすべき真実を読み取る思慮と英知こそが試されるのだ。
毎日新聞 2011年5月26日 東京朝刊

25/05 余録:推理小説ではブラウン神父はじめ聖職者の探偵役も活躍するが…

 推理小説ではブラウン神父はじめ聖職者の探偵役も活躍するが、実際に高位の司祭にして推理作家という人もいた。英国のR・ノックスはラテン語聖書の新訳で知られたカトリックの聖職者で、自身いくつもの推理小説を書いている▲小説の探偵役は神父ならぬ保険調査員だったが、司祭ノックスはブラウン神父シリーズの作家チェスタトンの葬儀を執り行った。その彼は推理小説を書く者が守らねばならぬ戒律である「ノックスの十戒」でも有名である▲「犯人は物語の初期から登場していなければならない」「探偵方法に超自然能力を用いてはならない」……読者に犯人を推理してもらう上で作家にフェアプレーを求める十戒だが、核心は「探偵が手がかりを見つけたときは直ちに読者に開示せねばならない」である▲44年前の布川事件で強盗殺人罪に問われ無期懲役が確定していた桜井昌司さんと杉山卓男さんの再審で無罪が言い渡された。検察側が2人の無実をうかがわせる目撃証言や毛髪鑑定結果を得ていながら当初の裁判では開示せず、証拠隠しが生んだ冤罪(えんざい)とされた事件だ▲2人の有罪の決め手とされた捜査段階の自白についても、それが記録された録音テープに編集が加えられていたことが明らかになった。これも自白の強要や誘導といった捜査の禁じ手が用いられたことを疑わせる。非合理的で強引な謎解きは推理小説としても失格だ▲人の一生を左右できる検察が犯罪の筋書きを描くにあたりフェアでなければならぬことは推理作家の比でない。真実に仕える聖職者としての信頼回復には、冤罪を防ぐための「戒」をさらに鍛えることだ。
毎日新聞 2011年5月25日 東京朝刊

24/05 余録:ある女性タレントが出版した自伝について…

 ある女性タレントが出版した自伝について「まだ読んでいません」と答えた有名な話がある。一方、自らの女性関係を赤裸々に明かした「著書」の内容を一転否定し、「こんな本!」とたたきつけてみせたのは俳優の長門裕之さんだった▲もう26年も前の話だが、パフォーマンスはこの「暴露本」で名前を出された人々が激怒したからだった。とともに世人が驚いたのは、長門さんと妻の南田洋子さんが「ミュージックフェア」の司会を16年間もつとめて「おしどり夫婦」の評判をとっていたためだった▲思えば名だたる映画人や芸能人が連なる一族に生まれた長門さんにとって、時にきわどいけれんも交えて衆目を集めるのは運命かもしれない。8歳で出演した阪東妻三郎主演の映画「無法松の一生」の敏雄少年の姿は、昭和の古い映画ファンならば今も忘れられまい▲夫人との結婚のきっかけとなった「太陽の季節」、貧困に負けぬ在日青年を演じた「にあんちゃん」、軽薄なチンピラ役の「豚と軍艦」……俳優としての飛躍期は戦後映画の黄金時代だった。そして子役から晩年まで、ほぼ一生を見事に演じ分けた俳優人生である▲晩年は認知症になった洋子夫人の介護の様子をテレビカメラに公開する。放送ではドキュメンタリー番組としては異例の20%を超える視聴率を示し、共感と反発の声双方に「自分は南田洋子物語の脇役」と応じた。なるほど「物語」でしか描けぬ人間の真実もあろう▲「おしどり夫婦を立派に演じ上げたい」と言っていた長門さんだが、夫人の死から1年半。まさに後を追うように逝った「長門裕之物語」の完成であった。
毎日新聞 2011年5月24日 東京朝刊

23/05 余録:お隣の韓国では多くの人々が…

 お隣の韓国では多くの人々が、口には出さずとも日本の技術や社会のありようを評価していた。それが、かなり崩れてしまったようだ。福島第1原発の惨状や、もどかしい対応を見れば無理もあるまい▲だが最近、被災者支援を巡る二つの逸話を聞いて、韓国側には以前から別のもどかしさがあったことを知った。まず一流企業の日本支店のケースだ▲07年の新潟県中越沖地震の際、この支店は仮設住宅用の家電製品提供を担当官庁に申し出た。だが財務諸表の提出を求められるなど難航し、断念した。このため今回は独自に韓国からラーメンなどを大量空輸し、取引企業の助けを借りて被災地に届けた▲次は来日したキリスト教会関係者の話だ。こちらは阪神大震災の時、在日同胞への支援計画が役所の壁にぶつかった。今回は日本側の教会の協力で、救援物資満載のトラックを派遣した。目的地に着くと被災者から「もっと奥に、もっと困っている人たちがいる。先にそっちへ」と言われ、感動の涙を流したという▲こうした例が他にどれほどあったかは知らない。ともあれ大震災後の一時期、ソウルの新聞には「しゃくし定規な日本」に苦言を呈する記事が目立った。日本の組織には事細かな規則やマニュアルがあふれている。あまりにも融通が利かない。それで急場の対応が遅いのではないか。そんな指摘である▲融通が利き過ぎて不正が横行するようでは困る。しかし責任逃れを兼ねたしゃくし定規もご免被りたい。おおらかさがしぼんできて、息苦しさも感じられる最近の日本だが、せめて被災者のためには精いっぱいの便宜を図るべきだろう。
毎日新聞 2011年5月23日 東京朝刊

22/05 余録:口は災いのもとという。不用意な発言が思わぬ波紋を…

 口は災いのもとという。不用意な発言が思わぬ波紋を広げてしまうケースは洋の東西を問わずしばしば見受けられる。政治に携わる人は特に慎重に言葉を選んでほしいが、スポーツの世界も例外ではない▲「あの坊やがフライドチキンやコラードグリーンを注文しないことを願いたいね」。米国のプロゴルファー、ファジー・ゼラーがこんな軽口をたたいたのは1997年のマスターズ最終日。コラードグリーンは黒人がよく食べるとされている米南部産の野菜だ▲その年のマスターズは前年夏、全米アマ選手権3連覇を達成してプロに転向したばかりのタイガー・ウッズが史上最年少の21歳3カ月で優勝、しかも通算18アンダーは大会新記録。もう一つ「初」がある。アフリカ系黒人の血をひく有色人選手初の大会制覇だった▲マスターズ優勝者は翌年の大会前日、歴代優勝者を招いて夕食会を開く慣例がある。79年大会の優勝者ゼラーが翌年の夕食会のメニューに注文を付けたのだ。米国スポーツの中でもとりわけ人種差別の痕跡を強く残していたゴルフ界ならではの差別発言と批判を浴びた▲「この優勝で多くの人々、特にマイノリティーをゴルフの世界に引きつけることになってほしい」。タイガーの優勝スピーチだ。マスターズ初優勝で世界ランキングのトップ10入りしたタイガーはその年、早くも賞金王に輝き、ゴルフ界での差別撤廃に大きな足跡を刻んだ▲そのタイガーが不倫騒動以降、精彩を欠いている。最新の世界ランキングでは97年以来14年ぶりにトップ10から陥落するという。ゼラーの失言に奮い立ったタイガーの牙は抜け落ちたか。

毎日新聞 2011年5月22日 東京朝刊

21/05 余録:「我等は角力道の弊風…

 「我等(われら)は角力(すもう)道の弊風、日に長ずるを見て黙視するに忍びず。力士をして左の誓約をなさしむ」。明治43(1910)年1月、友綱親方名で幕内11力士の署名押印を集めて結ばれた誓約書の冒頭だ。さて何の「約」か、以下を見よう▲「一、力士たるの精神を発揚し、其(その)本分を守り、角力道の弊風を矯正する事/一、土俵上の勝負は神聖に決すべく、苟(いやしく)も私情に亘(わた)り、情実に流れ、見苦しき行動は為(な)さざる事/……天地神明に誓い、必ず違背致すまじく」。お分かりだろうか。八百長禁止の誓約だ▲当時は「引き分け」があったため情実相撲が多く、客席から「八百長!」の怒号が飛び交うありさまだった。見かねたのは角界に影響力をもつ伯爵・板垣退助で、友綱親方を動かして力士に勝負の神聖を誓わせたのである▲さて今日の「角力道の弊風」は矯正されるのか。大相撲の八百長問題を調査してきた特別委員会は先ごろ最終報告書を日本相撲協会に提出し、これまで2度の報告書で25人の関与を認定した調査を終えた。いわばこれ以上の疑惑は立証不能という形での幕引きである▲すっきりせぬファンの気持ちをそれでも久々に盛り上げたのはやはり土俵だった。異例の無料公開、賜杯も懸賞もない技量審査場所だ。しかし史上タイの7連覇に手をかけた白鵬、新しい力の台頭を感じさせた魁聖の快進撃--何といっても場所あっての相撲なのだ▲相撲の神様がいるのは親方衆の会議や有識者の委員会ではなく、やっぱり土俵である。勝負の神聖を裏切らぬ相撲、それを次の場所こそ被災地のファンにもテレビでちゃんと見てもらえるようにすることだ。
毎日新聞 2011年5月21日 東京朝刊