幕府の調査で約4200人という安政江戸大地震の死者だが、当時は数万人とも数十万人ともうわさされた。原因の一つは大名や旗本が邸内の被害を秘密にし、武家の死者数が不明だったからだ▲「小石川御屋敷は死人43人と書き上げたが、実際は182人だそうだ」。水戸藩らしき屋敷の死者が過少報告されていたといううわさが、ある武士の書状に書かれている。武家は邸内の出来事をありのままに幕府に届け出たりはしないというのが当時の常識であった▲だがその結果は、武家の死者は町方の何倍にもなるといううわさの広がりだった。情報の秘匿は人々の不安心理の中で、実際よりはるかに大きな被害の幻影を生み出した。「人々」にはむろん武家自身も含まれている(北原糸子著「地震の社会史」講談社学術文庫)▲発生直後の初動対応から放射性物質の飛散予測データの公表遅れまで、国民の不信を呼び起こしてきた福島第1原発事故での政府と東京電力の情報公開だ。人々の不安が真偽の情報の乱流をもたらす放射能災害にあって、徹底した情報公開は災害対策の第1条である▲だがその一方では劇作家の平田オリザ内閣官房参与が低レベル汚染水の海への放出について「米国の要請があった」と公言し、撤回する一幕があった。発言通りなら驚くべき情報隠しがあったことになるが、こと原発事故で政府中枢の人物が流言の主になっては困る▲安政地震で大名や旗本は建物の修理より先に崩れた土塀をふさぎ、邸内を人目から遮った。政府も東電も後世似たようなものとのそしりを受けないよう、その情報への信頼を立て直さねばならない。
毎日新聞 2011年5月20日 東京朝刊
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