Friday, June 10, 2011

26/05 余録:欧米の学者らの間では「ラショーモン・エフェクト」という…

 欧米の学者らの間では「ラショーモン・エフェクト」という言葉が使われる。日本語にすれば「羅生門効果」だ。そう、一つの事件をめぐる盗賊と武士、その妻の異なる証言を描いた黒澤明監督の映画「羅生門」から生まれた言葉である▲つまり一つの現象でも人の立場によってその見え方や説明の仕方はさまざまなことをいう。日本ではもっぱら芥川龍之介の原作の題名「藪(やぶ)の中」が、当事者の証言が食い違って真相が分からないことのたとえに用いられる▲だとすれば事故のあった三つの原子炉の一つ、その海水注入の一時中断の一事だけでもまるで多数のツルバラがこんがらがった大藪を思わせる。福島第1原発事故発生直後における首相官邸、原子力安全委員長、東京電力の発表の食い違いや発言訂正の騒動のことだ▲食い違う説明は誰かの責任逃れのせいかもしれないし、空前の事故の混乱の中の錯誤ゆえかもしれない。立場で物の見え方が異なる羅生門効果もあろう。今のような表面的責任追及がかえって真相歪曲(わいきょく)を招くこともある▲こうみれば原発事故全体の究明にあたる事故調査・検証委が立ち入らねばならぬ藪の深さに気が遠くなる。委員長になる失敗学の畑村洋太郎氏は失敗発生の脈絡を木や森にたとえたが、それこそ過去の原発政策までさかのぼる調査は藪どころか広大な森林探査となる▲未曽有の原発事故の真相究明は日本人に課せられた文明史的な責務といえよう。藪から誰か「犯人」を引っ張り出し、留飲を下げればすむのではない。多様な証言やデータから人類が教訓とすべき真実を読み取る思慮と英知こそが試されるのだ。
毎日新聞 2011年5月26日 東京朝刊

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