「昇りや掘なさんな目に石が入る 卸(降)しや掘なさんな水がつく ゴットン」。福岡県・筑豊の炭坑で、掘り手の先山や掘った石炭を運ぶ後山らによって歌われたのがゴットン節だった▲ふんどし姿の男の先山と上半身裸の女の後山が寝そべって採炭する「寝掘り」の絵はこの間の報道でご覧になった方も多いだろう。絵には冒頭のゴットン節とともに「炭丈四五センチ位までは坐(すわ)って掘るが、それ以下は寝て掘る」などとある。炭粒が目に入りそうだ▲世界記憶遺産に登録される炭坑画家、山本作兵衛の作品でも有名な一点である。絵を描き始めた頃は女に衣をまとわせていた作兵衛に、暑い切り羽で衣を着ていられるかと詰問したのはかつて炭坑で働いていた女性だった。以後、彼は記憶のままの光景を描き続けた▲「七つ八つからカンテラさげて坑内さがるも親の罰 ゴットン」。7歳から炭坑仕事を手伝い、以後半世紀にわたり18炭坑で働いた作兵衛が絵を描き始めたのは還暦を過ぎてからだ。92歳で亡くなるまでに描き残したヤマの労働、暮らしは1000点を超えるという▲「覚えるも覚えよらんも、私がしちょったことですけ」。坑内の道具や子供の遊び、日用の品々まで、記憶の正確さに驚く人々に彼はそう答えた。先の女性をはじめ、明治から昭和の筑豊の炭坑で暮らした何十万もの人の記憶がのりうつったような作兵衛の筆であった▲日本の近代化を地の底から支えた人々が生きた現実はこの独創的画業なしには歴史の闇に埋もれたはずだ。「子孫にヤマの生活と人情を伝えたい」という志は今、確かに人類の記憶の殿堂に納められた。
毎日新聞 2011年5月27日 東京朝刊
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