秋篠宮さま46歳
46歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さまと紀子さま=22日午後、東京・元赤坂の秋篠宮邸で(代表撮影)
秋篠宮さまは46歳の誕生日を前に、同妃紀子さま(45)と記者会見に臨み、皇族として東日本大震災の被災者をどのように見守っていくかや、3人のお子さまのことなどを語られた。
大震災以降、ご夫妻は被災地や避難所を計8回見舞われている。秋篠宮さまは大きな災害があった時の皇室の役割を「復興を長期的な視野で見守り、被災者に末永く心を寄せていくこと」と話された。皇族の役割については「個人によって違ってくるし、それぞれのやり方がある」といい、ご夫妻で「どこに私たちが行くべきか」を考え、過去に訪問した経験があるなど「縁 」のある地域を中心に訪問先を決めたと説明された。
9月6日に5歳になった長男、悠仁 さまの教育方針については、きちんと社会生活を送れるようになること、広くいろいろなものに触れることを心がけられているという。(2011年11月30日付朝刊掲載記事)
◇ ◇ ◇
――問1 両殿下にお伺いします。今年は、未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生し、さらに台風被害が相次ぐなど、自然災害で多くの国民が犠牲になりました。
東日本大震災では、両殿下も各県の被災地にお見舞いに行かれ、眞子さまも夏休みに被災地でボランティアをされたと聞いています。被災地のお見舞いで印象深かったことや、今後どのように被災者に心を寄せていかれるのかについてお話しください。
大震災の発生当時、ご家族がどのようにお過ごしだったか、こうした大きな災害があった際の皇室の役割についても、お考えをお聞かせください。
ご回答
殿下 3月11日に東日本大震災が発生し、多くの人々が亡くなり、また行方不明になり、そして今でも大変多くの人たちが困難な生活をしております。震災が起きてしばらくしてから、私たちも最初は被災地ではなく、被災者で東京を始め他の県に避難している人たちのところへお見舞いに参りました。その後、被災地の方へと行ったわけですけれども、今回の被害が非常に広域にわたっているということから、まず、被災地の中でもどこに私たちが行くべきかということを考えました。そして、こちら2人(両殿下)が何らか縁のある場所、縁のあるというのは、その地域に縁 あるということもありますし、また、2人とも幾つかの団体に関連しておりますので、その関連する団体に関する、そういうところを中心に行こうということになりました。そして、東北地方を回ったわけですけれども、印象に残っていることと言えば、私はやはり、それまでテレビなどの報道を通して流れてくるニュースはもちろん見ていたわけですが、実際にその場所に行って目の当たりにすると、私たちが行きましたのは震災からしばらく経 ってからのことではありますけれども、いまだに倒壊した家屋がたくさんあり、その当日の被害の大きさというものを改めて実感しました。そのことが最初に強く印象に残ったことです。また、そういう大変な状況の中にあって、私たちが接した人々というのは、本当に限られた僅 かな人たちですけれども、その人たちが非常に前向きな姿勢で一日一日を過ごしているという印象を持ちました。さらに多くのボランティアの人が活動している場面にも接しましたし、自衛隊員の人たちが作業をしている場面を見かけることもありました。非常に多くの人たちが、震災に対して誠意を持って接している、手伝いをしているということが印象に残っております。そして、もう一つ、私の印象として強いものは、私は1990、多分99年でしょうか、今回大きな被害のあった岩手県の大槌町に大学(総合研究大学院大学)のプロジェクトの研究会で行きました。そして、それから3年後、2002年に今度は、確か、「自然と共生するまちづくりシンポジウム」だったと思いますけれども、シンポジウムのパネリストとして行っております。その折には、家族も途中から合流しておりますが、今回、大槌町と山田町に行きましたときに、そのシンポジウムのときに会ったとか、シンポジウムに自分も参加していた、そういう人たちが非常に多かったことに私自身も驚きました。これだけ多くの人たちと、その場所において、同じ空間で、同じ時間を過ごしていたということを改めて認識しましたし、その人たちにも再び会えたことをうれしく思いました。
その次は、被災者の方々にどのように心を寄せていくか、ですか。
やはり、今回の震災(の復興に向けた取り組み)は非常にこれから時間もかかり、長期的なものだと思います。したがいまして、長期的な視野で今後の復興を見守っていきたいと思いますし、携わっていきたいと思います。そして、末長く被災された方々に心を寄せていきたいと考えております。
また、ちょっと質問と順番が変わるかとは思いますが、こういう大きい災害が起こったときの皇室の役割についてですけども、私は皇室の役割、それから、私でも家内でもいいのですが、皇族個人の役割、その二つは少し分けて考えた方がいいように思います。皇族である個人の役割というのは個人によって違ってくると思いますし、それぞれのやり方があると思いますけれども、皇室の役割ということになりますと、先ほど申しましたように、被災した地域の復旧・復興を長期的な視野で見守っていくことであり、被災者に対しても末長く心を寄せていく、そういうことではないかと思います。
3月11日のその日、地震が起きた時は、私たちはちょうど来客中でありました。最初、それほど大きくない揺れでしたですね。ただ、ずうっと揺れが続いて非常に途中から大きくなってきたものですので、私たち2人と話をしていたお客さんと一緒に一時 、外へ避難いたしました。(妃殿下を振り向かれて)私だけか。
妃殿下 (殿下をご覧になって)私は子どもの様子を・・・
殿下 (妃殿下をご覧になって)ああ、そうだ。私とお客さんは外に出まして、家内は子どもたちが家の方におりましたので、そちらの方の様子を見に行きました。そして、しばらくしてから部屋に戻ったわけですけれども、その後は基本的にニュースを見ながらそのときの状況を知ろうとしておりました。私からは以上です。
妃殿下 今年は国の内外で、規模の大きい自然災害が起こり、心の痛むことの多い年であったように思います。ご質問が幾つかございますが、(少しお考えになって)私の場合は、地震が起きた当日のことをふり返りながら、少し順番は変わるかもしれませんが、当時のことをふり返りながらお話をさせていただいてもよろしいでしょうか。
(記者の同意を得て)3月の11日、震災当日、先ほど宮様がお話しされましたが、私たちは宮邸におりまして揺れを感じました。状況を把握するために、ニュースを見たりしながら過ごしておりましたけれども、報道から非常に規模の大きい地震、津波、そしてその後に原発事故と複合した災害によって、多くの尊い命が失われ、また、行方不明になられた方々、大切なものを多く失った方々がいらっしゃって、たくさんの方々が、本当に私たちでは計り知れない深い悲しみと強い不安を持ちながら過ごしていることを知りまして、胸が塞がる思いがいたしました。
こうした災害時において、宮様もお話をされましたが、被災された方たちのこと、困難な状況にある方たちのことに対して思い続けていく、心を寄せていくことは(皇室の役割として)非常に大切でございます。
震災後、宮様と一緒に私は、被災状況をなるべく理解できるようにと思い、関係者からお話を伺いました。また、それとあわせて避難所や被災地の学校、施設を訪れました。少し宮様が話されましたことと重なりますけれども、訪れた場所は、私たちが以前から関わっている団体が活動している地域を中心に参りましたが、訪れた先では、大変困難な状況の中であってもお互いに助け合い、支え合いながら生きている人々の姿を目の当たりにして、私たちが大きな力を頂きましたり、勇気づけられることも度々ございました。
また、この震災では国の内外から本当に多くの心温まるお見舞いや励まし、そして支援が行われてきました。自分に何ができるかしらと思われた方も多くいらしたと思います。大きな団体や組織、それから学校から個人のレベルまで様々な形で、被災地、そして被災者に対して献身的な支えをしている人々の姿が多くございました。私が携わっております結核予防会も、震災直後から委員会を立ち上げまして、被災地の人々の健康を案じ、医療機関と共に連携しながら被災地での医療、そして健康支援を夏まで行いました。宮様と訪れた場所でも、結核予防会の活動を見せていただき、お話を伺わせていただいたところもございます。また、母子愛育会という私が昨年の10月から携わっている団体も、子どもたちのための支援活動を行っております。
大震災から8か月が経 ちまして、時が過ぎても、被災地で暮らす人々、住み慣れた土地を離れて暮らす人々、そして、大変な生活を余儀なくされている人々に心を寄せながら、思い続けながら、人々の心身の健康や子どもたちの成長を長期にわたって見守る活動などを、これからも関わっていくことができればと思っております。
殿下 (妃殿下のご回答をお聞きになった後、妃殿下をご覧になって)印象に残ったことは。
記者 お願いします。是非。
妃殿下 (少しお考えになって)印象に残ったことは、先ほどお話ししましたことと重なりますが、被災された方々とお目にかかり、お話を伺わせていただく中でも、ご自分たちが非常に厳しい、大変な状況で過ごしていらっしゃるにもかかわらず、私たちが伺ったことに対してお礼の言葉や優しい言葉をくださったり、(少しお考えになって)いろいろな方と出会い、そして、いろいろな方の思いを伺わせていただきながら、多くのことを感じ、また、その時を大切に思いましたことです。被災地では、子どもたちが私たちに、夏ですから団扇 とか、ビーズで作った腕輪など、(殿下を振り向かれて)それから風鈴もございましたか。それは宮城県の小学生が作った・・・
殿下 (妃殿下をご覧になって)そうですね。
妃殿下 子どもたちの手作りの作品や大切に育てられたお花を頂きましたり、手作りの「まけないぞう」でしたかしら、被災されたご婦人方がタオルで作られたかわいい象を贈り物として頂きましたけれども、そういう物も手元に置きながら、宮様そして子どもたちと共に、今年起きた大震災について思い続けたいと思っております。
また、私は先週も東北地方を訪れておりましたけれども、そのような中で、地域地域の皆さまそれぞれのつながりがあり、また、強い絆 を持って過ごしていらっしゃることを改めて感じました。それぞれの方が今、時間の経過とともに生活も様々でいらっしゃっていて、その中でこれから寒さも厳しくなって、健康の面でも案じることがいろいろとございます。(しばらくお考えになって)何か話がまとまりませんけれども。(殿下を振り返られて)
殿下 (妃殿下をご覧になって)じゃあ、ちょっとまとめるね。
やはり、私が思いますに、いろいろな機会に、ここ何箇 月かの間に被災地を訪れています。私たち2人もそれから娘たちも行っておりますが、これからだんだん復興に向かっていくその過程で物理的に何かをするのは難しいこともありますけれども、何らかの形で携わりながら見守っていきたいなと思います。
46歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さまと紀子さま=22日午後、東京・元赤坂の秋篠宮邸で(代表撮影)
妃殿下 (殿下をご覧になって)ありがとうございます。
◇
――問2 両殿下にお子さま方について伺います。
(1)今年は、眞子さまが成年皇族として新たな一歩を踏み出されました。眞子さまが成年を迎えられた感想はいかがでしょうか。20年間の思い出とともにお聞かせください。
ご回答
殿下 私たちが結婚したのが1990年で、眞子が1991年に生まれました。私たちが今まで21年間、娘が生まれてからだと20年間ですが、この時間というのは割とすーっと過ぎて、余り時の経過を感じないように思うわけですけれども、生まれた子どもが20歳になる、その成長を考えると、やはりそれ相応の時間が経 ったのだなという感じがいたします。
20年間の思い出と言いますと、私はそんなに娘と遊んだりとかはしなかったのですけれども、やはり、2人でどこかに行ったということが印象に残っております。子どもの頃に水族館に連れて行ったこととか、神宮の次期式年遷宮がありますけれども、その関連行事の御木曳 に2人で行ったこと、それから、海外も2回ほど2人で行きました。海外にはマダガスカルとラオスに行ったわけですが、やはり一緒にいる時間が長い分、例えば長いドライブをしている間とかに、いろいろ話をしたりしました。そういうことが、私の記憶にはよく残っております。比較的いろいろなものに興味を持つ子なものですから、どちらかというと父親の興味に付き合ってくれていると、合わせてくれているというところもありますけれども、そのようにして2人で行ったいろいろなところのことが、良い記憶として残っております。
妃殿下 小さかったと思っておりました長女の眞子も、いつの間にか成長して20歳を迎えましたこと、感慨深く思っております。小さいときのことをふり返りますと、眞子は本を読むこと、それから絵を描くことや外で元気に遊ぶことが大好きでした。どのような思い出があるかとふり返りますと、たくさんございまして、宮様のように具体的にどれにしようかと悩んでしまいますが、普段の生活の中で、とても元気に楽しいことをたくさんしてくれた娘のように思います。一緒に外で遊んだり、本を読んだり、お菓子を作ったりなど、一つ一つ小さなことですけれども、私にとりまして、とても大事な思い出になっています。
この20年の流れは、ふと今日感じましたことの中に、長男の悠仁と本を読んでおりましたのですが、その本が実は眞子が小さいときに読んでいた本でございました。眞子と一緒に読んでいた本で、表紙も大分読み込まれたようなものでしたけれども、それを手に取って悠仁に読んでおりました時に、小さい頃から本が大好きだった娘の思い出が蘇 ってきました。眞子と一緒に読んでいた本、又 は、眞子が読んでいた本を次女の佳子が読み、今は悠仁が読んでおりまして、何かそのように一つの本が大事に読み継がれていくのをうれしく、また、時が経 っていることを感じました。
先ほど、小さかったと思っておりました娘がと言いましたが、随分大きくなったという印象もございます。どういうところでそのように感じるかと申しますと、例えば、日々の生活で私がいろいろな務めや用事で慌ただしくしておりまして、いつの間にか肩に力が入り過ぎたりしたようなときは、緊張をほぐすためにでしょうか、面白い話をしてくれます。また、これは私が小さいときからそうなのですが、時折、話すテンポが、子どもたち、(殿下を振り向かれて)宮様からも遅れてしまうことがございまして(一同笑い)、そういうときには、さりげなくフォローする言葉をかけてくれまして、私も大変助かります。
娘が20歳を迎えましたが、その成長の過程では、両陛下が初めての孫としても、いつも優しく見守ってくださり、また、私が子どもを育てる上でも、多くのことを教えていただきました。今日まで娘を温かく見守ってくださった方々に感謝しますとともに、また、これからの日々、娘そして(殿下を振り向かれて)家族と共に充実した日々を過ごせるようにと願っております。
◇
(2)成年皇族として、どのような姿勢でご公務に臨まれるようにお話をされているでしょうか。
ご回答
殿下 私は、何か公的な行事を依頼された場合には、せっかく頂いた機会ですので、それを一つ一つを大切に一生懸命務めるようにと申しております。
妃殿下 成年として、公的な活動に携わっていくようになりますが、この前、ブータンの国王王妃両陛下をお迎えする、(殿下を振り向かれて。殿下うなずかれる)歓迎申し上げる宮中晩餐会 に出席させていただきました。
成年を迎える前のことを少し思いますと、宮様と私は、娘たちと共に、例えば全国高等学校総合文化祭や、少年の主張全国大会など、娘たちと同年代の人たちが参加する行事に出席して、またその行事についての説明を一緒に受けて理解を深めるよう心がけておりました。これから一緒に出席する行事がどのくらいあるか分かりませんが、一つ一つ携わらせていただくお務め、行事など、その経験を大事に積み重ねながら、また、様々なことを学びながら良い務めを果たしていけるように願っております。
また、公的なお務めをさせていただく中で、娘は今、他の学生と共に勉学に励み、また、クラブ活動に参加して、若くて爽やかな学生生活を送っていますが、宮様のときもそうでいらしたと思いますし、また、他の皇族の方も、学生生活に重きを置きつつ、公的な活動に携わられていらしたと伺っておりますので、娘もいろいろと考えながらお務めしていくことになると思います。
◇
(3)また、眞子さまのご結婚についてのお考えをお聞かせください。
ご回答
殿下 (微笑 まれながら)彼女が、この前会見で、父親が自分の年齢のときには既に結婚のことを考えていたようだけれども、自分はまだそういう考えはないと確か言ったと思います。確かにそれはそのとおりですし、私たちも割と早く結婚しましたけれども、これはあくまでも本人次第ですので、考えというのは今のところ私には、特にありません。
妃殿下 宮様と同じように、結婚についても、本人の気持ちを大切にしたいと思っております。
◇
(4)佳子さまは来年、高校3年生に進級されます。進路についてどんな話し合いをしていらっしゃいますか。
ご回答
殿下 私も時々次女と進路については話すことはあります。ここで具体的なことはお話しできませんけれども、娘なりに恐らく真剣に今後の進路のことについて考えていると思います。
妃殿下 次女の佳子は今高校2年生でございます。中学に比べますと高校の授業は選択科目が増えまして、自分の関心や興味を深める機会が多くなっているように思います。これからの進路については、長女の眞子のときと同じように娘の考えや希望を聞きながら、少しずつ具体的に詰めていく過程を見守ってまいりたいと思います。
◇
(5)悠仁さまは5歳になりましたが、日々どのような教育方針で接していらっしゃいますか。
ご回答
殿下 去年おととしくらいでしたか、教育方針ということについて質問を頂きましたが、私は基本的にそのときと同じ考えで、これから幼稚園、今、年中組ですけれども、年長組それから小学校、中学校、高等学校と進んでいく中できちんと社会生活を送れるようになってもらいたいなと思っております。
また、そういう中で、ある時期になれば自分の立場もきちんと認識しなければいけませんけれども、それとともに自分が関心を持っていることを伸ばしていってくれたら良いと思います。ただ、やはり若いうちというか子どものうちというのは、できるだけ広くいろいろなものに触れておいた方が、裾野が広がると言いますか、よろしいと思いますので、そういう方向に、サジェスチョンのようなことができれば良いかなと思います。
妃殿下 教育方針についてですが、確か一昨年、それ以前にもお話ししましたように基本的な生活習慣や身につけるべきことは年齢に合わせてございますので、大切に学べるように心がけたいと思いますし、先ほど宮様もお話しされましたけれども幅広い経験を重ねていくことも大事だと私も思いますので、生活の中でそのような機会を考えたり、環境を作っていくことができたらと思います。
毎日、元気に幼稚園に通っており、集団生活の中でお友達と一緒に遊ぶことで喜びがあり、楽しみがあり、また、様々な経験をすると思いますし、幼稚園から戻ってきてから、あるいはお休みの日に、悠仁が関心を持っていることやしてみたいことができるような機会を作っていくことができたらと思います。
◇
(6)悠仁さまのご成長ぶりや、眞子さま、佳子さま、また年齢の近い愛子さまとのふれあいについてエピソードをお聞かせください。
ご回答
殿下 そうですね。成長ぶりですけれども、同じ屋根の下に住んでいますから毎日のように顔を合わせていると、連続的に変化していくものというのはなかなか見えないですね、私からは。ただ、確かに去年の誕生日と今年の誕生日では体も大きくなっていますし、それから、例えば、木にすたすたと登っていくのを見たりしますと、去年だったら余りできなかったのかなと思ったりすることもあります。また、一緒に本を見ながらあれこれと虫や恐竜のことなどなど、話す会話の量も増えて。そんなところが成長の様子なのかなと感じます。また、これも非常に不思議なことですが、先日、いわゆる着袴 の儀というのが行われましたけれども、何となく、袴 を着けると大きくなったように見えてくるのですね。(妃殿下を振り向かれて)私だけかね。
妃殿下 (殿下をご覧になって)私もそのように。(と、うなずかれる)
殿下 そんなところが成長のその様子と言いましょうか。後は何でしたか。
記者 眞子さま、佳子さま、そして、一番悠仁さまに年齢が近い愛子さまとのふれあいのエピソードについて。
殿下 そうですね。その辺りはどうでしょうね。上の2人の娘とよく何か鬼ごっこをしたり、鬼ごっこって言うのかな。(妃殿下を振り向かれて)
妃殿下 (殿下をご覧になって)走り回ったり。
殿下 走り回って遊んでいることはあるけれども。(妃殿下をご覧になって)どうでしょう。私は余りよく知らないので・・・。
妃殿下 (少し考えられる)そうでございますね。今年は、敬宮さまと子どもたちが一緒になる機会というのは限られておりましたが、一緒に4人で過ごしているときはいつの間にか子どもたちだけで楽しそうに語り合ったり、また、敬宮さまが宮邸の方にいらした折には、いろいろなおもちゃがございますので、皆で楽しめそうな物で本当に声を弾ませながらおもちゃを積み上げたり・・・。後は、4人の中で悠仁が一番小さいものですから、3人のおねえちゃまの周りをうれしそうに走り回ったりすることもございまして、そのような、微笑 ましい光景を目にすることが度々ございます。以前から御所に参内させていただきました折も(4人の)子どもたちでいろいろな楽しい話をしていることもございましたように、こちらの宮邸でも、20歳から5歳まで、15歳の年齢差はございますが、余りそういうことも感じないような楽しい空間を作って。(殿下を振り向かれて)
殿下 (妃殿下をご覧になって)そうね。子どもたちが4人でいるととてもにぎやかな。ありますね。
妃殿下 そのようなこともありますからでしょうか、11月の上旬に敬宮さまが入院されましたとき、子どもたちも心配しておりましたが、そのお後にご回復されたことを伺い、とても安心しておりました。
質問前半の悠仁の成長ぶりについてお話をさせていただきます。長男の悠仁は、9月に5歳になりました。幼稚園での生活も1年半が経 ちまして、随分慣れてきたように感じられます。恐らく、年少、そして今、年中として、いろいろと行事に参加したり、また遊びも広がったりする中で、昨年に比べると積極的に関わる姿が見られるようになったと聞いております。例えば運動会についてお話しいたしますと、昨年は初めての運動会ということもございまして、他の年少のお友達と共に、運動会っていうのは何だろうかと、むしろ戸惑って少し立ち止まって考えるようなこともございましたけれども、今年は随分いろいろな競技やお遊戯でしょうか、楽しそうに元気に参加している様子が見られまして、そういうところでも成長を感じました。
殿下 (妃殿下をご覧になって)何度も手を振ってくれたね。
妃殿下 (殿下をご覧になって)大分心に余裕があったのでしょうか、うれしそうに満面の笑みで手を振っていました。また、宮様が玉入れをしているときも「頑張って」って他の子どもたちと共に応援をしたりもしていました。
殿下 (妃殿下をご覧になって)それは玉入れをしていたから私は分からないですけど。(一同笑い)
妃殿下 (殿下をご覧になって)勝ちました時はとてもうれしそうにしていました。
その他に、運動に関連してということになりますが、私たちは5月に岩手県の山田町を訪れました。そこの小学校で体育の授業、体育館で全校生徒が体操を見せてくださいました。海の子体操でしたでしょうか。音楽に合わせて、とても活発な動きをいたします。夏休みのことなのですけれども、その海の子体操のDVDを悠仁と一緒に見る機会がございまして、それを見ましたら、悠仁が海の子体操をしたくなりました。動きが小学生向きで、難しい動きもございましたが、悠仁なりに頑張って毎日というか、時間があると1日に1回するようなことをしておりました。1人ではなく、私は側 にいることも多いので私と一緒にしたり、また父親とも一緒にしたり、元気な自分の姉たちとしたいということもあって、家族一緒になってしておりました。何か自分のしたいことをできるようになりたい、そういう気持ちを表現するようになってきたことも、大きくなったと思う時でした。
最近関心を持っていることを一つお話しいたしますと、紙工作という言葉でございますでしょうか。(殿下を振り向かれて)
殿下 (妃殿下をご覧になって)ペーパークラフト。
妃殿下 (うなずかれる)ペーパークラフトに凝っております。図鑑を開いて、例えば魚とか恐竜とか、何か良さそうなものを選んでそれを紙に描いて、はさみで切って、そして色を塗っておりますけれども、恐竜などは非常に大きなものがございまして、そういうものは紙を貼り合わせて作りました。出来上がった喜びを家族にも伝えたくて、私たちが出かけているときは戻ってから「できたよ」って報告したり、大学や高校から戻ってくる眞子、佳子に早く見せたいということで、心待ちにしていることもございました。
◇
――問3 眞子さまが成人を迎えられたのを機会に、あらためて殿下に皇統の継承についてお伺いします。現行の皇室典範の下では、眞子さま、佳子さまもご結婚後、皇籍から離れることになり、将来的には宮家の数が減って皇統の安定的な継承が難しくなると共に、皇室のご活動の幅が狭まる恐れがあります。殿下は一昨年の記者会見で「国費負担という点から見ますと、皇族の数が少ないというのは、私は決して悪いことではないというふうに思います」と述べられました。皇族の方々の東日本大震災の被災地でのご活動が続いてきた中で、現在のお考えをお聞かせください。殿下はこの1年間で、皇太子さまと皇室の将来のあり方についてどのようなお話を交わされたでしょうか。
ご回答
46歳の誕生日を前に記者会見される秋篠宮さまと紀子さま=22日午後、東京・元赤坂の秋篠宮邸で(代表撮影)
殿下 恐らく皇室が今後どういうふうに存在するのか、その在り方と関係すると思います。私は以前に皇族の数が少ないことは国費負担という意味において悪くはない、ということを申しましたが、この考えは今でも変わっておりません。一方、現在の皇室というものをそのまま維持していくためには、やはり一つの集団というか、ある一定の数というのは当然必要になってくるわけです。国費負担の面、一方で、今ご質問にもありました、活動の幅、継承、そういうことを合わせて、それにふさわしい数というのは多分あると思いますけれども、それは私には分かりません。
いわゆる皇室の制度については、皇室典範があります。制度論については、これは国会の論議に委ねることになるわけで、私が何か言うということではありませんけれども、その過程において、今後の皇室の在り方を考えるときには、何らか、私若 しくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあって良いと思っております。
皇太子殿下との皇室の将来の在り方について(のお話)ですけれども、今年は少し私が怠けていたところもあるかと思います。去年ほどそれについての話はしておりませんが、話し合いをしたことはあります。ただ、その内容については、ここでは控えたいと思います。
◇
――問4 殿下に伺います。天皇陛下は2月、心臓の冠動脈に硬化や
ご回答
殿下 天皇陛下の公務、それから両陛下の公的なお務めとご健康のことというのは、非常に関係してくることだと私は思います。いわゆる公務と言われる国事行為は、数を減らすとかそういうことはできないわけですね、臨時代行とかでない限り。それ以外の公的なお務めについては、何年か前にそのようなことから、負担軽減が図られております。例えば、行事の内容を少し短くするとか、行事の間にちょっと休憩、ポーズを入れるとかですね。それから非常に大きかったのは、お言葉を無くす行事が大分多くなりました。ご承知かと思いますけれども、陛下は一つ一つの行事におけるお言葉というのを非常に大切にしておられますので、それに使われている時間、労力というのは大変なものがあります。そのようなことから、ご自身も言われていますけれども、かなり軽減は図られてきたものと思います。
ただ、本年のことを言えば、東日本大震災が起こり、その後の各地へのお見舞いがあったり、大震災の被害等に伴う進講があったりなど、お務めの量が非常に多かった、ある意味特別に多かった年だと言えます。この1月から11月までの間で見ましても、ここ数年の中では断トツに今年が多いというのは事実です。
やはり両陛下とも喜寿を過ぎておられます。そのようなことからも、今までにかなりの公的行事の見直しということはなされてはおりますし、年をとっても、ある程度の忙しさがあることが健康を維持する上では大事なこともありますけれども、宮内庁には、これからの行事の在り方を今の状態でずっといいのだという認識ではなくて、常に医師とも連携を取りながら柔軟に対応していくことが私は必要だと思っております。
◇
――問5 殿下に伺います。今年もご公務やご研究で忙しい日々を過ごされてきましたが、この1年間を振り返っての感想をお聞かせください。両陛下、皇太子ご一家とのご交流も含め、心に残っている出来事はおありでしょうか。これからの1年間の抱負とともにお話しください。
ご回答
殿下 この1年、私の公的な活動、それから研究などを通して言いますと、やはり、一番にあるのは東日本大震災であります。私たちも各地を訪れて、そこで被災された方たちにも会って、その当時の様子などを聞いたりもいたしました。その中で、先ほどともちょっと重複になりますが、肉親を亡くした人もいますし、家が流された、それから原子力発電所の事故があって避難を余儀なくされている、そのような人たちが、これは私がお会いした人たちですけれども、その多くがより前向きに日々を過ごしている様子が、私は非常に、この1年を通してみても印象に残っております。
そして、そのような中、8月の上旬に全国高等学校総合文化祭が福島県で開催されました。当初は開催をどうしようかということが随分いろいろ議論になったようでありますけれども、全国から高校生が集まって、これはひとえに実行委員会の熱意に、それから努力によるものだと私は考えますが、残念ながら幾つかできなかった種目(部門)はあるものの、かなりのものを行いました。開会式で行われる構成劇も、今回の震災が起こる前までに用意していたものではなくて、震災が起こってから、日本、被災地の復興ということを考えた「ふくしまからのメッセージ」というタイトルだったと思いますが、そういう構成劇を新たに地元の高校生たちが作ったわけですね。私は、福島県の高校生がそのように非常に生き生きと今回活動し、さらに全国から高校生が大変な数、福島県に集まったという様子を見たときに、非常に大変な状況の中に、何か明るいものを見た感じがいたしました。
一方、ご質問にあった、研究、私の行っている研究についてですけれども、昨年までかなり長い期間、タイの研究者との共同研究を行っておりまして、それがまあ、(妃殿下を振り向かれて)昨年でいいのですよね。
妃殿下 (殿下をご覧になって)はい。
殿下 昨年の3月に、サイアム・ソサエティというところから本として出版されております。それで、最初のフェーズは一応一段落ついたという感じはします。ただ、やり残していることもまだたくさんあります。これは抱負のようなものになるのかもしれませんけれども、そこでやり残したことというのを、またもう少し続けてみたいなと。私の研究は、キーワードはドメスティケーション(家畜化)なのですね。タイの人たちと一緒に仕事をしながら自分自身で感じるのは、鶏のドメスティケーションを考えるときに、タイのみでなくて、もっと広くアジアを見る必要があるし、もうちょっと言えば、他のヨーロッパとかそういうところに、世界的に広がっているものを知る時に、やはり、そういうところを少し見ていかなければいけないなという気がしました。私の場合、時間を長く取って、海外の方に調査に行くということはなかなかできませんけれども、何年かに1度くらいはですね、現地へ足を運んで、自分で実感をしてみたいなと思います。最近、現地に足を運ぶことが意外と少なくなってくると、大学で講義をしていても、最初の頃はかなり自分の体験に基づいて話をしていたのが、だんだん人の受け売りが多くなってきて、若干それについて、恥ずかしいこともあるものですから、そんなことも今少しこの1年をふり返って考えているところであります。
それから、両陛下ですね。両陛下との交流という点で言いますと、毎年例えば葉山であるとか那須であるとか御料牧場であるとかに、ご一緒する機会があります。葉山はちょっと短めなことが多いのですけれども、今年も2回ほどは葉山に、(妃殿下に確認されて)2月と6月の2回ですね。
妃殿下 (殿下をご覧になって)そうでしたね。(と、うなずかれる)
殿下 ご一緒しましたけども、夏の期間にはうまく時間が合わなくて、ご一緒する機会はありませんでした。ただ、長男が夏の時期に、昆虫採集に興味があるというのか、虫を探すことに興味があったものですから、この赤坂御苑よりも恐らく種類数でいうと、皇居ははるかに多いと思うのですね。そういうことから、夏の一番虫の多い時期にはほぼ毎週に近かったですよね。(妃殿下を振り向かれて)
妃殿下 (殿下をご覧になって)はい。
殿下 皇居の方に行って、御所でご挨拶して、それで虫捕りに吹上御苑に行くということがありました。そのようなときに、陛下も息子の虫好きを知っておられますので、普通だったら草刈りをしてしまうところをそのままに残して、虫がたくさんいられるような環境を作っておいたりとか。それから、暑い時期、当然短い期間ではありますが、ほとんど(毎週)家内と息子が2人で虫捕りに出かけていくわけなのですけれども、それでも短時間、息子の悠仁に誘われるようにして、(陛下も)ご一緒に昆虫採集・・・(少しお考えになる)
妃殿下 (殿下をご覧になって)虫探し?
殿下 (妃殿下を振り向かれて)虫探し?
妃殿下 (殿下をご覧になって)観察も・・・
殿下 観察、そういうことがよくありました。
皇太子同妃両殿下のところとの交流については、残念ながらそれほど多くはありません。ただ、先ほど家内がお話ししたように、秋口でしたか、みんなで集まったときに、子どもたちが集まって、非常に和やかというか、にぎやかというか、一時を過ごしていたということが私には印象に残っております。以上です。
◇
関連質問 先ほど、陛下のご公務についてのやり取りがありましたけれども、先ほど殿下は陛下のご公務について、宮内庁は医師と連携を取りながらですね、更に柔軟に考えていくべきだというようなことをおっしゃいました。宮内庁も、これまでいろいろ陛下のご公務の負担軽減に対しては、かなり苦心をされて、いろいろ工夫をしてきたと思うんですが、なかなか一挙に減らすというのは難しいという状況もあると思います。そういう中でですね、天皇陛下の公務に対して、定年制を設けたらどうかというような意見もありまして、例えばある程度の年齢になればご公務というのを減らして、国事行為に専念していただくという、そういう制度をもう考えていくべきではないかという意見もありまして、私もなるほどと思ったんですけども、殿下はこの制度から見直すという、そういうお考え方というのはどうでしょうか。
ご回答
殿下 私は、今おっしゃった定年制というのは、やはり必要になってくると思います。というか、ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだんいろんなことをすることが難しくなっていきますので、それは一つの考えだと思いますけれども、じゃ、どの年齢でそういうふうにするか。やはりある年齢以降になると、人によって老いていくスピードは変わるわけですね。だから、それをある年齢で区切るのか、どうするのか、そういうところも含めて議論しないといけないのではないかと思います。
(2011年11月30日 読売新聞)
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