Friday, June 10, 2011

03/06 余録:安元の大火、治承の辻風、養和の飢饉、元暦の大地震…

 安元の大火、治承の辻風(つじかぜ)、養和の飢饉(ききん)、元暦の大地震--天変地異があい次ぐなかでの源平争乱の乱世を生きた「方丈記」の鴨長明である。うち「山はくづれて河を埋(うず)み、海は傾きて陸地をひたせり」という元暦の地震は平家滅亡と同じ年だ▲長明は地震の惨状をつぶさに記し、おそれおののく人々のさまを描いたが、その後の世の様子についてこう結ぶ。「すなはちは人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり年経にしのちは言葉にかけて言ひ出(い)づる人だになし」▲地震当初、人々は世の無常を語り、心も清められたが、年月と共に元に戻って、そんな言葉も聞かれなくなったというのだ。だが、それにしても「心の濁り」が元に戻るのが早過ぎるだろうといいたくなるのはわが政界だ▲野党の菅内閣不信任決議案をめぐって党分裂かといわれた民主党である。危うく震災の被災地も原発事故も置いてきぼりで、明日をも知れぬ政争に突入するところだった。辛うじてそれが避けられたのは、「めど」という言葉のあいまいさの功徳というべきだろうか▲菅直人首相は「震災と原発事故の対応にめどがついたら退陣」との意向を表明して造反派をなだめ、決議案否決にこぎつけた。ならば「めど」とはいつつくのか。退陣を約束した首相がこの難局に当たれるのか。震災対策以外の政治課題は置き去りか。疑問続出だ▲権力争奪にかかわる「心の濁り」ばかりは目前の惨禍を見ても清められないらしい。「被災者のため」という名分で相手をおとしめ合う政争を国民がどんな目で見たか、少しは畏れてもらいたい。
毎日新聞 2011年6月3日 東京朝刊

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