その日は初夏の陽光に輝く素晴らしい土曜日だった。週末はメーデー休暇へと続き、人々はうきうきと水泳、日光浴、ピクニック、ボート遊びを楽しみ、野外結婚式も行われた。1986年4月26日、旧ソ連のプリピャチ市のことである▲市近くの原発が爆発したのはその日未明だ。だが「子供を外に出すな」と指示が出て「3日間」の避難が始まったのは翌日だった。ある夫婦の話だ。「何日くらいかしら?」「おそらく永久だ」「でもメーデーのパレードはどうなるの?」「メーデーなんて中止だ」▲そのチェルノブイリ原発事故から25年、プリピャチは今も廃虚のままだ。その間に「グラスノスチ(情報公開)」が始まったソ連は崩壊したが、過去と将来にわたり数千とも数万ともいわれる被ばくによる死は現在も続く▲こう聞けば事故評価「レベル7」と認定された福島第1原発事故が二重写しとなって心が騒ぐのも仕方ない。チェルノブイリのような原子炉の爆発はなく、放射性物質の放出量も10分の1という福島だが、一方で4基の異常が長期化しているという別種の危惧もある▲立ち入りが禁止された警戒区域や計画的避難区域の住民にとって、今なお周囲30キロが居住禁止になっているチェルノブイリの悪夢の再現だけは避けねばならない。また消防士ら多数の犠牲を出したチェルノブイリを振り返れば、人の被害を出さない事故収束も課題だ▲かつては生命や自由を軽んじる体制の崩壊のきっかけとなった原発事故である。一人の犠牲も出さず、一刻も早い危機克服と地域の再建をなしとげるのは、全世界が息を詰めて見守る文明史的挑戦だ。
社説:チェルノブイリ 25年の教訓を生かせ
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放射性物質:出荷停止、賠償対象に 紛争審査会が方針
毎日新聞 2011年4月23日 東京朝刊
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