福島第1原発の事故に伴い、累積放射線量が高くなると懸念されている福島県飯舘(いいたて)村。政府が5月下旬までに全村避難を実施するよう求めた22日、同村臼石で農業を営む庄司勝蔵(かつぞう)さん(75)一家は、6人家族が分かれて村の外で暮らしていくことを決めた。一つのテーブルで夕食を囲む日々は当分、訪れそうにない。「生きがいだった農業も家族のだんらんも奪われる」。庄司さんは感情を抑えるように語った。【古関俊樹、松谷譲二】
庄司さんは17歳から父の米作りを手伝った。10年ほど前から野菜作りも始め、現在は水田と畑を合わせ3ヘクタールに白菜、キャベツなど10種類以上の野菜と米を栽培する。肉牛も4頭飼育し、村の直売所では「庄司さんの育てた野菜がほしい」と客から指名が入るほど評判だった。
築40年を超える木造2階建ての家に、73歳の妻のほか、農業を手伝ってくれる長男夫婦とその娘2人と暮らす。26歳の孫娘2人は双子だ。畑で取れた野菜で野菜炒めやギョーザを作り、「おじいちゃん、おいしいね」と喜んでくれる孫娘たちの顔が楽しみだった。
今月11日、政府は飯舘村などを「計画的避難区域」に指定する方針を打ち出した。その影響で、孫娘2人は勤務先の勧めで5月上旬までに福島市と同県伊達市内のアパートにそれぞれ引っ越し、長男夫婦も伊達市の娘のアパートで暮らすことになった。「アパートの大きさから、私と妻まで一緒に暮らすのは無理だった」。庄司さんは寂しく笑う。
この日の昼。庄司さんは計画的避難が決まったことをテレビニュースで知った。「覚悟はできていた」。自宅から約10キロ離れた同県川俣町の親戚宅に妻と移るつもりだが、「牛を残したままで家を離れる気にならない」と苦悩する。
自宅居間には、孫娘2人の七五三の写真が額に入れて壁に掛けられていた。「家族は寄り添って暮らすのが一番なんだ。再び、村の家にみんなで戻って、自分の作った野菜の料理を食べてほしい」。庄司さんはそうつぶやき、写真をじっと見つめた。
毎日新聞 2011年4月22日 20時51分(最終更新 4月22日 22時21分)
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