4月19日付
歌人の大江昭太郎さんに老いた母を詠んだ一首がある。〈かなしみを容るる器の小さければ神はわが母にみみしひ賜ふ〉。「みみしひ」は耳が聞こえないこと、遠くなったことをいう◆悲しみを納める心の容器が小さいので、つらい話やせつない話をもう聞かなくても済むように、神さまは母の耳を遠くしてくださった――と。歌人の老母に限るまい。人は誰しも、悲しみを盛る器の容量に限界がある◆震災の被災地から届く記事や映像だけですでに容器があふれている人には、思わず耳をふさぎたくなる出来事であったろう◆きのうの朝、栃木県鹿沼市で集団登校していた小学生の列にクレーン車が突っ込み、児童6人が死亡した。やがて青春を謳歌し、恋をし、仕事をし、結婚して父や母となり…いかようにも花が咲いたはずの人生である。子をもつ親のひとりとして、はらわたの煮え返るほど悔しい◆余震や放射能の不安に世相が波立っているときであればなおさら、車の運転であれ、何であれ、日常の振る舞いは丁寧に、注意深くあってしかるべきである。悲しみの器に、これ以上の涙は一滴も加えたくない。
(2011年4月19日01時23分 読売新聞)
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