国の「伝統的工芸品」に指定されている宮城県石巻市雄勝(おがつ)町の雄勝硯(すずり)を製造販売する事業者の工場や社屋がすべて東日本大震災の大津波で流失した。そんな中、被害を免れた「雄勝天然スレート」(同市)の屋根材「スレート」が、JR東京駅・丸の内駅舎に使われることになった。これをバネに雄勝硯生産販売協同組合は、組合員が共同で会社を設立し再興を目指す道を模索している。
雄勝硯や工芸品の材料となる玄晶石(粘板岩)を町内で唯一採石しているスレート社の木村満社長(78)は震災から3日後、自宅兼工場が土台だけになっているのを見て衝撃を受けた。
だが、希望は失われなかった。JR東日本に納入予定の屋根材スレート2万2500枚のうち、工場跡周辺で梱包(こんぽう)した状態の物や、散らばっていた製品が見つかった。約1万5000枚は損傷を免れていた。
雄勝産のスレートは、東京駅の屋根に使われてきた。JR東日本は震災後、改修中の同駅のスレートを海外企業に発注する方針を示したが、町関係者や市民団体の要望を受け、被災を免れたスレートを使うことを決めた。木村社長は「今まで活躍してきた東京駅に再び使われることになってよかった」と安堵(あんど)した。同県登米産スレートも屋根材に使われており、関係者は宮城復興のシンボルと期待する。
雄勝町には粘板岩の鉱山があり、約600年前から硯が生産され、仙台藩祖の伊達政宗も愛用したといわれる。最盛期の昭和30(1955)年代ごろには児童用硯の9割を町内で生産した。そして今、食器や工芸品に活路を求め、市の後継者育成制度を活用して20代の若者2人を育成していた。
だが、大震災によって約8人いた硯彫り職人のうち1人が死亡、1人が行方不明になった。
同組合の沢村文雄理事長(63)は避難所生活を送りながら再建策を検討する。東京駅の屋根に輝く雄勝産スレートが復活の一歩だ。
「ここでやめれば楽だなあと思う。でも、おれの代で途切れさせたと言われたくない」と沢村理事長。「書道家は雄勝の石ですると『発墨がいい』と言ってくれる」。古里の名産品を後世に残したいという思いが関係者を突き動かしている。【垂水友里香】
毎日新聞 2011年4月23日 11時03分(最終更新 4月23日 12時09分)
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