4月29日付
“お天気博士”倉嶋厚さんの祖母は嘉永年間の生まれという。ある日、厚少年を呼び、読み書きのできない自分に代わって紙に文字を書いて欲しいと頼んだ。「お地蔵様」「お観音様」「ラジオ様」「電話様」「ガス様」「自動車様」…戦前のことらしい◆おばあちゃん、これは何なの? 言われるままに書きながら尋ねると、「私の神様、仏様だよ」――そう答えたと、倉嶋さんは自著『季節さわやか事典』(東京堂出版)で回想している◆「様」は付けないまでも、生活を彩る品々に多くの人が感謝の心を寄せていたのは、いつ頃までだろう◆高度成長期のあたりに、日本人は何か大切な忘れ物をしてきたのかも知れない。家に明かりがともる、たったそれだけのことのありがたさが身にしみるなかで迎えた「昭和の日」である◆9年前に亡くなった歌人、富小路禎 (とみのこうじよし) 子 (こ) さんに一首がある。〈服あふれ靴あふれ籠にパンあふれ足るを知らざる国となり果つ〉。忘れ物を取りに戻る旅に、頼れる地図があるわけでもない。倉嶋さんのおばあさんに倣って、身のまわりの“様”を数えることから始めるのもいいだろう。
(2011年4月29日01時24分 読売新聞)
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