5月5日付
昔の学生たちはときに、朝寝坊の弁明に戯 (ざ) れ句を用いたという。〈寝台白 (しんだいはく) 布 (ふ) これを父母に受く、あえて起床せざるは孝の始めなり〉。両親から授かったベッドとシーツに親しみ、起床しません。なんと親孝行な私でしょう、と◆大蔵官僚から東京証券取引所の理事長などを務めた谷村裕さんが随筆に書いていた。ことわるまでもなく、中国の古典『孝経』の一節〈身体髪膚 (はっぷ) これを父母に受く、あえて毀傷 (きしょう) せざるは孝の始めなり〉のもじりである◆たわいのない言葉遊びではあろうが、「なるほどなあ…」と考えるときもある◆この震災で多くの親御さんが大事な息子や娘を亡くした。「早く起きないと、学校に遅刻するわよ」「うるさいなァ」といったやりとりが、いかに幸福な時間であったか、胸を突き刺すような追憶のなかで噛 (か) みしめている人もあるに違いない。何の変哲もない日常の起き伏し一つひとつに感謝せずにはいられない今年の「こどもの日」である◆明治生まれの歌人、三ヶ島 (みかしま) 葭子 (よしこ) に一首がある。〈よく遊び疲れたる子は眠りたり生れしその日もこの顔なりし〉。寝顔という親孝行も、たしかにある。
(2011年5月5日01時15分 読売新聞)
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