これでは、とうてい納得できない。東京電力福島第一原発の事故を受けて、菅政権が13日に決めた賠償策のことだ。
電力10社の出資で「機構」をつくり、東電の資金繰りを支援する。政府も公的資金を投じるが、最終的には東電と他の電力各社が弁済するため「国民負担は生じない」という。
だが、賠償金の支払いや電力の安定供給を名目に、生かさず殺さずで東電を存続させる今回の案は、責任の所在をあいまいにしたまま、電力業界を守り続ける枠組みになりかねない。
まず、株主や金融機関に負担を求めないのはなぜなのか。
確かに、株価下落や無配転落で株主は一定の損を被る。金融機関についても、政府は債権放棄がなければ公的支援はしないとの揺さぶりをかけ、協力を引き出す構えだ。
だが、実質的に経営破綻(はたん)の企業を公的に救済する以上、必要な減資や債権放棄は枠組みの中できちんと位置づけるべきだ。
東電に対する責任の負わせ方も、小手先にとどまっている。
政府は、第三者委員会を設けて東電の資産や経費を洗い出し、極力賠償にあてるというが、今浮上している人件費の圧縮や5千億円程度の株式・不動産の売却では焼け石に水だ。
賄い切れない分は東電の収益から返済させるのだが、事故処理費用などで赤字経営は必至の中、電気料金の値上げも認めず、となれば弁済を繰り延べるしかない。そのぶん、不健全な公的管理が長引くことになる。
むしろ東電の事業形態そのものを見直し、保有する発電所など電力関連施設売却も俎上(そじょう)に載せるべきだ。新規参入を促し、電力自由化を進めることは国民負担の軽減にもなるし、経済の活性化にもつながる。
そもそも、なぜ他の電力会社までが東電の事故賠償の資金を負担しなければならないのか。国の負担を減らすためだとすれば、市場ルールを曲げる混乱要因を政府みずから作り出していることになる。各電力会社に、地域独占体制の温存を事実上約束する形にもなりかねない。今後の原発事故に備える仕組みが必要なら、賠償策とは切り離して構築すべきだ。
12日の与党の会合では、電力労組などの後押しを受ける議員らから国の責任割合を高めよとの声が出たという。東電の負担軽減が狙いとすれば、なんと国民感覚からずれた話だろう。
改めて言う。東電を守らないと、賠償が進まないわけでも電力供給が滞るわけでもない。法案提出までに再考すべきだ。
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