2011年5月9日(月)付
先ごろ、私鉄の車内放送に感心させられた。「次は○○」に続いて「降り口は右側です」とでも言うところを、「右側のドアを開けます」と妙に力強い。「私が」の主語はなくても責任感がにじむ言い回しだった▼これが頼もしく響くのは、世に「ひとごと調」があふれているからだろう。原発事故をめぐる言説もしかりだが、珍しいことに、当事者の覚悟が透ける言葉を菅首相から聞いた。浜岡原発を丸ごと止めてくれという要請である▼浜岡は来るべき東海地震の震源域にあり、福島第一の教訓から防潮堤を設ける手はずになっている。列島の大動脈にも近く、放射能が漏れたら大ごとだ。大地震は明日かもしれず、まずは停止し、備えに万全を期すのが常識である。首相は正しい▼ただ、「俺が止めた」という実績を急(せ)いてか、夏の電力不足やエネルギー政策への影響をつぶさに吟味した様子はない。なにしろ、首相の言動はここまで「思いつき」が多かった▼浜岡の緊急会見も、案の定、菅おろしへの先手、延命工作だと批判された。国民の安全が政局絡みで語られてはたまらない。信望が厚い指導者ならば、要請はもっと支持され、中部電力に即断を促したはずだ▼危急存亡のメッセージは、内容と同じほど発言者が重い。機長のアナウンス一つで、機内のパニックは収まりも広がりもしよう。乱気流のただ中で、彼の技量や人徳を論じても始まらぬ。せめて命がけで操縦桿(かん)を握り、ぶれない主語で語れと、揺られながら祈る。
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