Sunday, May 15, 2011

13/05 天声人語

2011年5月13日(金)付

 いかついものと可愛いものの取り合わせは滑稽味を醸す。たとえば弁慶が手まりをつき、仁王様が千代紙を折っているような図には、絶妙のちぐはぐ感がある。今の世に探すなら、失礼ながらお相撲さんがケータイをいじる図と相成ろうか▼そんな姿が支度部屋から消えた。場所入り前に「力士携帯預かり所」に差し出す様子は、カンニングに揺れた大学受験を彷彿(ほうふつ)させる。土俵をにらむ監察委員も増員された。名称も「技量審査場所」とくれば、春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)としたおおらかさはどこか縮む▼年6回の本場所は、季節や土地ごとに味わいがある。今場所なら隅田川を渡る薫風だろう。打ち出し太鼓で出て来ると、初夏の空はまだ明るく、上気したほおに川風が心地よい▼だが、その薫風もほろ苦い「八百長明け」の場所である。そのうえ看板大関が「遊びの場所」と口走っては、足を運ぶファンの興もさめる。だが把瑠都関、考えてもみよう▼騒動の中、賜杯(しはい)もテレビ中継も、懸賞もなしでは心技体を高めるのは難しかろう。だからこそ「本物」かどうかの試金石になる。ファンは見ている。「二級場所」どころか白星は勲章と言っていい▼亡くなった相撲通の作家宮本徳蔵さんが、強さとは、一口で言うなら「無心」に帰着すると書いていた。それは中国故事の「木鶏(もっけい)」に通じよう。木彫りの闘鶏さながらに、動じることなく勝負に臨む。大横綱双葉山が目指した境地だ。眼鏡にかないそうなのが白鵬一人では寂しい。続く者よ、出(い)でよ。

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