2011年4月26日(火)付
旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が起きて、今日で25年になる。規模は異なるが、最悪の惨事に福島第一原発の事故は「レベル7」で並んだ。原発依存を今後どうしたらいいのか。きびしい問いが私たちに突きつけられている▼「白熱教室」で知られる米国ハーバード大のサンデル教授が、日曜の本紙で述べていた。「丁寧な議論をすること。絶対に議論を避けてはならない。賛否両派が相互に敬意を持って、公然と討議できれば、民主主義は深まる」。このアドバイスの勘所は「敬意」ではないだろうか▼英首相を務めたアトリーの、こんな言葉を思い出す。「民主主義の基礎は、他の人が自分より賢いかも知れないと考える心の準備です」。異なる意見に払い合う「敬意」なしには、議論は言葉による殴り合いとなろう▼事故後の本紙世論調査によれば、原発を「増やす」という人5%、「現状程度」51%、「減らす」30%、「やめる」11%。世論二分の中、どの道を選ぶか。いずれにせよ「あなた任せ」「のど元過ぎれば」の愚は繰り返すべからず、である▼だが国策を方向づける国会は、どだい論議が心許(こころもと)ない。茨木のり子さんの詩の一節を借りれば、〈舌ばかりほの赤くくるくると空転し/どう言いくるめようか/どう圧倒してやろうか〉――。これでは教授の助言からは遠い▼安全神話は潰(つい)え、いまや事故は起きるのが前提だ。利権や金儲(かねもう)けではなく人の賢さを高めて針路を決めたい。敬意をもって未来に迎えられるように。
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