再開したスーパーは朝から大勢の客でにぎわった。店内には「がんばろう原町」の幕がつり下げられた=30日午前10時17分、福島県南相馬市原町区、新井義顕撮影
福島第一原発の事故で福島県に「緊急時避難準備区域」が設定されて1週間余り。原発の北に位置する南相馬市原町区と、南側の広野町。まちの様子は大きく違っている。
30日午前10時。南相馬市原町区にある大型スーパー「フレスコキクチ北町店」の入り口が約1カ月半ぶりに開いた。並んでいた客約100人が店内に入った。
原発事故後に横浜市に避難し、3月下旬に同区の自宅に戻った門馬千恵子さん(73)は「人も増え、前のように物が手に入るのはありがたい」とほほえんだ。
人口約7万人の同市は原発事故後、住民が続々と避難して2万人ほどに減少。だが22日に政府が原町区の大半を屋内退避指示から緊急時避難準備区域に切り替えると、同区には人が戻り始め、今では市全域で4万人ほどになるという。
銀行や郵便局、飲食店や酒屋、肉屋なども次々と開き始めている。
だが子どもの姿はほとんど見かけない。放射線量が低いとはいえ、影響を心配して避難したまま戻らない家庭が多いからだ。高校1年の長女と小学2年の次女を持つ母親(39)は、次に原発で何か起きた時は県外に行くと決めている。
JR原ノ町駅近くで理容店を営む佐藤俊一さん(65)は「子どもと女房は避難して、だんなだけ残っている家も多い。不思議な町になっちまった」と嘆く。3月下旬に店を開いて以降、一人も小中高生の頭を刈っていない。
避難先の兵庫県西宮市から戻ってきた民生委員の大場盛子さん(70)は車に毛布、水、保存食を積み、ガソリンは少しでも減ればすぐ満タンにしている。避難の指示が出たら、できるだけ遠くまで逃げようと思っているからだ。「私たちは『グレーゾーン』に住んでいる」と話した。
■「ゴーストタウンでしょ」
30日午前10時、広野町に向かう常磐自動車道は上下線ともがらがらだった。津波で流された家々を横目に町に入ると、スーパーの入り口には「臨時休業」の紙が貼られたまま。人の気配はほとんどなかった。
町の人口は約5500人。緊急時避難準備区域に指定される前は140人が町に残っていた。自宅に戻る住民は増えたが、その数は多くはない。その一人、自営業の男性は「今の広野はゴーストタウンでしょ」と憤る。会社員の広田喜世人さん(63)は「できるだけ多くの人が町に戻ることのできる方針を立ててほしい」と町に期待を寄せる。
ところが町は、役場機能を南隣のいわき市に移したまま。町民には「戻らないで」と呼びかける。断水が続き、原発が不安定なままだからというのが理由だ。
町役場に入ると、一部だけ電気がついたフロアの奥に職員2人が座っていた。「何かあった時に防災無線で呼びかけるためにいる」。そう話した。(矢崎慶一、南出拓平)
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