福島第一原子力発電所に、自衛隊員が操縦するヘリコプターが何度も、水をまいた。地上からは警視庁の機動隊員と自衛隊員が放水を試みた。
原発のまわりは、漏れ出た放射性物質でひどく汚染されている。いずれも重い防護服に身を包み、被曝(ひばく)量を測りながらの、決死の作業だ。
きのう朝から夜にかけて、原発の冷却に向けての作業を、多くの国民がかたずをのんで見守った。
東京電力や協力会社の作業員、消防隊も、地震の発生以来、不眠不休で経験のない災厄に挑んできた。津波やこれまでの爆発で、行方不明やけがをした人もいる。さらに、第一原発の制御を取り戻すため、多くの作業員が電源の復旧作業に取り組んでいる。
事態が少しでも好転してほしい。
そして、まさしく生命をかけてこの難局に立ち向かう人びとの被害が、最小限に抑えられるように――。
努力が結実することを願う。
ひとたび重大な原発事故が起きたとき、だれが、危険をおかして作業にあたるのか。これまで突っ込んだ議論を避けてきた私たちの社会は、いま、この重い課題に直面している。
軍国主義時代の日本や独裁国家ではない。一人ひとりの生命がかけがえがなく、いとおしい。そこに順位や優劣をつけることはできない。
一方で、誰もが立ち向かえる仕事ではない。電気をつくり、供給することを業務とし、専門の知識と技術をもつ人。一定の装備をもち、「事に臨んでは危険を顧みず」と宣誓して入隊する自衛官。同じく公共の安全の維持を責務とする警察官。
もちろん自衛隊や警察にとっては、およそ想定していなかった仕事だ。しかし、事態がここまで進んだいま、私たちは、そうした人たちの使命感と能力を信じ、期待するしかない。
危険な作業はこれから長く続く。この先も、苦渋の選択が求められる場面が何度もあるだろう。
その判断をし、指揮・命令する立場にある人は、適切な情報に基づいた確たる覚悟が求められる。最終責任を負う政治家も同様である。
多くの知恵を結集して様々な場合を想定し、三重四重の対応策を考え、物資を調達し、決断する。
ここを誤り、右往左往し、あるいは責任を転嫁するような振る舞いをすれば、作業にあたる人やその家族はもちろん、国民は何も信じられなくなる。
私たちは、最前線でこの災禍と闘う人たちに心から感謝しつつ、物心の両面でその活動を支え続けなければならない。
電気を使い、快適な生活を享受してきた者として、そしてこの社会をともに築き、担ってきた者として、連帯の心を結び合いたい。
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