Monday, March 21, 2011

15/03 asahishimbun - 天声人語

2011年3月15日(火)付

 国文学者の歌人、窪田空穂(うつぼ)は関東大震災の直後、甥(おい)の安否を尋ねて東京市中を歩いた。目にした惨状を克明に、一連の歌に残している。〈妻も子も死ねり死ねりとひとりごち火を吐く橋板踏みて男ゆく〉。あるいは〈梁(はり)の下になれる娘の火中(ほなか)より助け呼ぶこゑを後も聞く親〉▼88年前に被害を甚大にしたのは燃えさかる「火」だった。今回は津波による「水」である。時は流れて科学も技術も進歩した。だが、自然の猛威を前にした人間の小ささは変わらない。愛(いと)しい人を亡くした人の悲しみにも、変わりのあろうはずがない▼亡くなった人は宮城県だけで「万」にのぼる見通しだという。市街地ばかりでなく、各所で小集落が根こそぎ消えた。「全滅」という言葉を今回の取材で何回聞いたことか、と被災地に入った記者が書いている▼おののくような数字の一つ一つに、空穂の歌の悲嘆があろう。記事は伝える。病気の息子を連れ出せなかった老親。仕事から戻る夫のために、むいたリンゴを残して濁流に消えた妻――。数字は、ただの数字ではない▼気象予報によれば、被災地は今日からいっそうの寒さに見舞われるという。三寒四温の「三寒」がこれほど恨めしい春はない。日本全体の試練である。物心の苦難を分かち持つ決意が私たちに要る▼紙の墓碑を思わせる東京の紙面にきのう、被災地で生まれた赤ちゃんの記事があった。〈子どもはなおもひとつの喜び/あらゆる恐怖のただなかにさえ〉。谷川俊太郎さんの詩の一節を思い浮かべた。命の微笑を、力に変えたい。

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