7月9日付
団扇を手に、浴衣の女性が縁台で涼んでいる。涼味が伝わっていい図柄だが、表情も姿もモッサリして、見ているとかえって暑苦しい。お世辞にも上手とは言えない◆横浜市の神奈川近代文学館『漱石と文人たちの書画』展で、武者小路実篤の絵を見た。自身、出来ばえには満足していなかったようで、〈失敗の作也もう百遍もかけばいくらかものになるべし〉と添え書きがある。努力の人の面目躍如たる一文だが、ついに上達しなかったらしい◆だから好きだ――と実篤の絵を愛したのは山口瞳さんである。〈私にとって「勉強すれば上達する」ということよりも、「いくら勉強しても上手にならない人もいる」ということのほうが、遥かに勇気を与えてくれる〉と(新潮文庫『木槿の花』)◆失政の責任を他人に転嫁して恥じない首相がいたり、“やらせメール”だか何だか、世間をだますことに血道を上げる電力会社があったり、「愚直」が服を着たような作家が懐かしく偲ばれるのも時世ゆえに違いない◆実篤には、〈騒ぐものは騒げ、俺は青空〉という詩もあった。人の心の青空がひときわ恋しい夏である。
(2011年7月9日01時37分 読売新聞)
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