楽しみにしていた末っ子のランドセル姿はもう見られない。上の子2人の誕生パーティーも濁流に消えた。大震災で家族5人が津波に巻き込まれ、ただ一人取り残された宮城県石巻市の市職員、菊地裕明さん(50)は1カ月たっても前に向かう気持ちはわき出てこない。「この先、何をよりどころに生きればよいのか」。心に開いた穴はあまりに大きい。【遠藤拓】
妻ゆかりさん(41)と3人の子、そして母房子さん(75)との6人暮らしだった。
「早く学校行きたいな」。ぴかぴかのランドセルを背負って、そう繰り返していた次女の美里華ちゃん(6)は近くの市立大川小に入学するはずだった。高校1年の長女日香里さん(15)は3月18日、中学1年の長男昭斗志君(13)は4月6日が誕生日だった。ケーキとオードブルを囲んだお祝いをみんなで楽しみにしていた。
「行ってくるよ」
その日朝早く、ゆかりさんにいつもどおり声をかけた。子供たちは寝息を立てていた。
仕事は学校給食の調理で、勤務先から自宅までは普段は車で40分ほどかかる。あの日は大量の土砂や流木が散乱、冠水で走れない道だらけで、3回もパンクし夜半に自宅にほど近い川の対岸にたどり着いた。橋が途中でなくなっていた。
自宅に戻るのをあきらめ、市内の妹夫婦方に身を寄せた。家族5人を捜して避難所を回る日々が続いた。1週間近くたってやっと「再会」できた。そこは避難所ではなく遺体安置所だった。
美里華ちゃんが最初に見つかった。幼稚園から帰ったばかりだったのだろう。左腕に見慣れた名札を付けていた。そして自宅近くでゆかりさん、昭斗志君と続いた。物静かで成績の良かった昭斗志君は、あわてて避難したらしい。傍らのリュックサックには懐中電灯と財布、そして宝物にしていたゲーム機が入っていた。
試験休みで家にいた日香里さんは、菊地さんが犬の散歩コースにしていた沼の近くで見つかった。家屋ごと津波に流されたらしい。明るくてよく笑う一家のムードメーカーだった。「両ひざが不自由なおふくろをかばい、一緒にいたんじゃないか。昔からおばあちゃん子」。だが、母の房子さんはまだ見つかっていない。
美里華ちゃんと再会した夜、うとうとしていると帰宅する自分の姿が浮かんだ。「おかえり」。美里華ちゃんが駆け寄ってきた。ひざ元にまとわりつく懐かしい感触だ。夢だった。酒を飲まなければ眠れなくなった。家族も家財も自宅も失い、お墓まで流された。
晴れた日、日香里さんが見つかった現場の近くで母を捜す菊地さんの姿があった。手にしたスコップを止めてつぶやいた。「おふくろが見つかるまでは頑張るよ。その後? みんなを弔いながら一人、生きていくのかな」。そばの沼では水鳥が小さく鳴いていた。
毎日新聞 2011年4月12日 22時55分(最終更新 4月12日 23時06分)
No comments:
Post a Comment