Saturday, April 9, 2011

Tokyoshimbun Column - 筆洗 08/04

筆洗

2011年4月8日

 夫婦者は、相手への思い深い方が先に息絶える。やっと手に入った食べ物を自分は後回しにして相手に与えるからだ。親子なら、だから、決まって親が先に亡くなる…▼平安末期、養和年間の飢饉(ききん)の凄惨(せいさん)な様子をつづった鴨長明『方丈記』が<いとあはれなる事も侍(はんべ)りき>として、そんな光景を描いている。非常の時に、最も痛ましい形で表れた家族の情愛だ。長明の嗚咽(おえつ)を聞く思いがする▼今回の大津波災害の報道で、よく目にした言葉に<津波てんでんこ>がある。津波が来たら、親子でもてんでんばらばら、人は構わず、身一つで逃げるべし。明治、昭和と大津波に襲われた三陸地方で、被害を少しでも減らそうと伝えられた教訓だ▼だが、この平成の大津波でも家族を案じて引き返したり、家族を先に自分を後回しにして犠牲になったという人の話は少なくない。どうしても<てんでんこ>にできなかった親や子、夫や妻たち。教訓がいかされなかった、などと誰が言えよう▼犠牲者の遺体の中には、レトルト食品が詰まった重い緊急持ち出し袋を大事そうに抱えた女の子や、避難生活を見越してか、セーター五枚を重ね着したお年寄りの遺体もあったという。確かに身一つで逃げていてくれれば、と思わずにはいられない▼でも、ああいう状況で、「合理的」な逃げ方なんてできるものだろうか。筆者は自信がない。

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