生まれ年は知らないが、たぶん五十代半ばの米国独身女性の話-。首都圏の大学の准教授や講師を掛け持ちして生計を立てている。
春休みで故国に帰っていた。そのさなかの未曽有の大震災と原発事故。米国政府は一時退避を自国民に呼び掛けた。家族も友人たちも「米国に残れ」と強く引き留めたらしい。
でも彼女は日本へ戻ってきた。緊急地震速報がひっきりなしに流れ、壊れた原子炉から漏れる放射性物質にみんなが動揺を隠せないでいる、この国へ。
何のためらいもなくといってはうそになるけれど、自分の後半生のベースはニッポン、と心に決めてのことだったそうである。
久しぶりの自宅マンションの部屋は、横浜でもかなりな揺れだったことをうかがわせて、激しく散らかっていたという。
はっきりいって日本語は聴くのも話すのも怪しい。停電もあって不安と孤独にさいなまれたに違いない。それでも日本へ戻ることを選択した勇気、英断をたたえて、連帯のメッセージを妻に託した。「困ったら、いつでもウエルカム」と。
返事は早速きた。「まさかのときはお宅をシェルターにする」。原発ショックにみんなの気分が晴れない。「シェルター」の単語に、降り注ぐ核から身を守る地下施設を連想してしまう。
あれは悪い冗談だったよね。そう笑える日よ、一刻も早くと、願わずにはいられない。 (谷政幸)
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