ウナギ好きで有名な歌人の斎藤茂吉は「吾(あ)がなかにこなれゆきたる鰻(うなぎ)らをおもひて居れば尊くもあるか」と詠んだ。歌ができぬ時、原稿が書けぬ時、ウナギを食べればたちまち思うままに筆が運んだ▲ウナギを食べると5分で目が輝いてきて、木々の緑の色まで違ってくると家人に話していたともいう。そこまでいれこむと、思うようにウナギが食べられなくなった戦時中がつらくなる。だが茂吉には秘策があったという▲日中戦争中に銀座のデパートでウナギの缶詰を大量に買い込んでいたのだ。食糧難になってからの日記「鑵詰(かんづめ)ヲ一ツ開イテ、二度ニ食ツタ、ソノオカゲカ少シク勉強シタ」が記すように缶詰でもウナギの霊験はあらたかだった(里見真三著「賢者の食欲」文芸春秋)▲昔の缶詰でしかウナギを楽しめなくなるのはウナギ好きには悪夢だ。だが今年は、土用の丑(うし)を前にしてウナギ店が仕入れ価格の高騰に苦しんでいるという。2年連続の稚魚の極端な不漁で養殖ウナギの生産量が減り、輸入ものも稚魚不足で高騰しているためだという▲そんなウナギの資源危機のなか、東大などの研究チームは太平洋西マリアナ海嶺(かいれい)付近で採取したウナギの天然卵の標本を世界初公開した。直径1・6ミリ、透明な膜に包まれた卵だ。長らく謎だったウナギの産卵の真実を今目にしていると思えば何とも神秘的に見える▲さて、卵のもたらす知見は完全養殖による量産化の道を開き、ウナギの資源枯渇を防げるか。ウナギ好きは気が気でないが、ちなみに茂吉は戦後何年か後にこんな歌を詠んだ。「十余年たちし鰻の鑵詰ををしみをしみてここに残れる」
毎日新聞 2011年7月12日 東京朝刊
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