日曜の午前6時、寺の雨戸と木戸を一斉に開けた。福岡市の禅寺・聖福寺で月2回開かれる座禅の日だ。夏も冬もなく、開け放たれた方丈(本堂)で、そろって禅を組む。寒さで鼻水が垂れても、暑さで汗が目に入っても、動いてはいけない。「セミの声だけを気にとめて」と老師。しかし何年過ぎても、考え事や足の痛さが気になる。
「コーン」という木を打ち鳴らす音が響くと、座禅は終わる。すると休む間もなく、そうじが待っている。古雑巾をバケツで絞り、板の間や欄干をふく。終わったころ、座敷には冷茶と楊枝(ようじ)のついたようかんが待っていた。一息ついた時、のどを通る茶の涼が身と心に染みた。
「節電の夏」が本格的に始まった。定時退庁を推進する市役所や照明を半減する企業。原発事故は今後、生活の全てを変えていくだろう。
エアコンやテレビのある暮らしは、快適だ。でも、私たちは代わりに「季節感」をだんだん失ってきつつあるのではないか。禅寺で「さとり」を開こうなどとは言わないが、節電を機にこれまで遠ざかる一方だった自然を感じる術を取り戻したい。【反田昌平】
毎日新聞 2011年7月12日 西部夕刊
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