Tuesday, May 31, 2011

29/05 天声人語 - 、天地の「地」はきびしい試練をもたらした

2011年5月29日(日)付

雨にぬれる公園を歩くと、紫(あ)陽花(じさい)の花はまだ小さい。手毬(てまり)のように丸くなり、「七化け」とも呼ばれる花色の妙を見せるのは少し先だろう。雨期を彩る私なのに――。化粧がととのわぬままの忙(せわ)しない入梅に、花の精はご機嫌斜めかもしれない▼日本列島は関東甲信と東海も梅雨入りし、いわば半身浴の状態になった。どちらも去年より17日も早い。初夏(はつなつ)の空と風が、今年はもうおしまいかと思えば名残惜しい。公園の雑木林は、雨が強くなると青く煙って、水の底に沈んだように見える▼お天気博士の倉嶋厚さんが「人間は大気の海の底に住む海底動物」だと書いていた。なるほどと思う。大気の織りなす営みが、ときに五風十雨となり、ときに暴風雨などの禍となって、「底」に暮らす人の頭上に下りてくる▼人は空を仰ぎ、地球の表面にへばりついて生をつなぐ。この世界を「天地(あめつち)」とはよく言ったもの。〈命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中にし息〈いき〉す〉と窪田空穂は詠んだ。命の器としてのわが身、生かされてあることへの静謐(せいひつ)な思いが伝わる秀歌だ▼今年、天地の「地」はきびしい試練をもたらした。いま入梅とともに、強い台風2号が傷む日本をうかがう。夏の暑さも含め、せめて「天」は慈母であれと願わずにいられない▼紫陽花の属名のハイドランジアには「水の器」の意味がある。疎ましい梅雨も「夏の水瓶(みずがめ)」を満たす大事な役を担う。どうか暴れず騒がず、日照りで泣かさず。恵みの雨期であってほしい。

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