Tuesday, May 31, 2011

28/05 天声人語 - 「アンネの日記」「フランス人権宣言」など

2011年5月28日(土)付

その絵は、照明のカンテラを提げて地底に降りる母子を描いている。父ちゃんはもう採炭場だ。母の肩には3人分の弁当、少年の背には赤ん坊。母がおんぶすると坑道の低い天井で頭を打つので、と説明文にある▼明治から昭和を生きた「炭鉱絵師」山本作兵衛は、石炭掘りの仕事と生活を活写した。きつい坑内作業、混浴の共同浴場、夫婦げんか。お互い命がけという連帯感と、家族労働が育む濃密な社会である。作兵衛の炭鉱絵が、ユネスコの「世界記憶遺産」に登録された▼幼少期から両親について福岡県の筑豊炭田で働いた。もともと絵心があり、現場を離れてから92歳で没するまで、日記と記憶を頼りに千点以上を残した。素朴にして誠実な作品には、掘り道具が響き、汗が臭う▼「私の絵には一つだけうそがある。坑内は真っ暗で、こんなにはっきり見えやしません」。中小炭鉱の閉鎖が続く中、ヤマの実像と人情を孫の世代に伝えたい一念で、色までつけた▼記憶遺産には「アンネの日記」「フランス人権宣言」など、人類史に刻むべき文物が名を連ねる。炭鉱絵は、近代化を底辺で支えた人々を同じ目線で描いた点が評価された。日本から初めて、そうそうたる史料の仲間入りだ▼国宝とは無縁の「労働絵巻」が、一足飛びに世界公認のお宝になる痛快。年に200升を空けた作兵衛のこと、地の底に消えた幾万の命と祝杯を交わしていよう。早くから絵の価値を認め、とうとう世界に発信した筑豊の人たちにも、乾杯。

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