2011年3月22日(火)付
. 早さが身上の災害救援ボランティアらしく、ケン・ジョセフさん(54)は地震の翌日に仙台に入った。「阪神大震災では街が残ったけれど、今度は津波が全部さらっていった。戦場よりひどい」。電話の声は沈んでいた▼東京を拠点に、学生らを率いて内外を回っている。父母は戦後復興のボランティアとして米国から来日、自身も東京で育った。この震災の少し前、彼が持参した近刊がある。永六輔さんとの共著『日本に生まれてよかった!』(徳間書店)だ▼若者よ、上を向いて歩こうと励ます書には、「阪神」後の神戸で、復興の熱気に圧倒された経験がつづられている。掘っ立て小屋の食堂や郵便局が開かれ、がれきの街をバイクや自転車がバタバタと走り回る光景である▼〈それは、両親が見たのと同じ日本の原風景を見た思いであり、心が震えるような感動でした〉。欧米とは違う、アジアの活力を感じたという。「みんなが大好きな日本、きっと立ち直り、もっといい国に……」。電話は涙声になった▼暴動も略奪もなく、避難所には列ができる。ケンさんの言う日本の美徳に、海外は驚嘆の声を上げた。他方、がまん強い東北の被災者に寄り添う人も多い。「今度だけは甘えるだけ甘えて」(残間里江子さん)と▼逆境に張り詰めた心は、折れも緩みもしよう。震えるその肩を抱こう、手足になろうと、手弁当で集まる若者に救われる。この世代を希望に、海辺の廃虚から日本の再建が始まる。無念の魂たちに、もう一度生まれたい、住みたいと思わせる国を目ざして。
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