「もしアラビアのロレンスが東大の先生になっていたら」。何だかベストセラーの題名みたいだが、そんなにとっぴな話でもない。英文学者の中野好夫氏によると、ロレンスは知人に宛てて「東京大学教授の件ですが……多分わたしにはだめでしょう。もう二度とわたしは、ちゃんとした人間にはもどれますまい」と書いている(「英文学夜ばなし」)▲手紙の日付は1924年1月13日。英軍将校のロレンスがオスマン帝国に対する「アラブの反乱」を成功させてから6年後だが、後に東大教授になった中野氏が調べても彼を教授に招いた事実は見当たらなかった▲かといって根も葉もない話でもあるまい。中東研究家の牟田口義郎氏によると、手紙の相手は英国の博物館長を務めた人物で、彼はお国の大任を果たしたロレンスを日本で休ませるべく当人に打診した可能性があるという(「アラビアのロレンスと日本人」)▲往事渺茫(びょうぼう)である。こんな話を持ち出したのは、今の中東に燃え盛る民衆運動(「アラブの春」)にロレンスは何を思うかと、ふと考えたからだ。「ちゃんとした人間」には戻れないとまで落ち込んだのは「アラブの反乱」への疑問や幻滅からではなかったか▲オスマン帝国の衰退に喜んだのは英仏などの列強だ。アラブ勢が求めた「大アラブ帝国」の樹立などは空手形に終わった。またの名を「新アラブの反乱」という今の民衆運動には植民地主義への怨念(おんねん)もやどっていよう▲泉下の人の話は大学の講堂では聞けない。では、たとえばカイロの広場に響く人々の叫びと悲鳴の中にロレンスの声なき声を聞き分けることは可能だろうか。
毎日新聞 2011年7月4日 東京朝刊
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