東日本大震災が発生した3月11日、名古屋港管理組合が津波に備えて堀川口防潮水門(名古屋市港区)を閉じようとしたが、津波の到達に間に合わなかったことが分かった。22人が参加する対策会議で潮位を基に判断したが閉門決定が遅れた。津波発生時の閉門について明確な基準はなく、同組合は対応に問題はなかったとしているが、専門家は改善の必要性を指摘している。【福島祥】
名古屋地方気象台の速報値によると、震災当日、名古屋港付近に津波の第1波(高さ68センチ)が到達したのは午後5時43分。午後7時36分には最大波となる高さ105センチの津波を観測した。
同水門は、名古屋市中心部を流れて名古屋港に注ぐ堀川の河口にあり、四つの水門が横に並ぶ形で設置されている。名港管理組合は震災当日、地震発生から約30分後の午後3時15分に1回目の対策会議を開いた。津波が川をさかのぼって被害が発生するのを防ぐために閉門できる体制を整えたが、閉門指示は出さなかった。
4回目の対策会議を開いて閉門を決めたのは最大波が到達する約20分前の午後7時15分だった。すぐに閉鎖作業を始めたが、一つの水門を閉めるのに6分かかり、四つのうち三つ目を閉めたところで水門内側の水位が急上昇。「閉鎖すれば水門に損傷を与える可能性があった」として作業を中止し、すべての水門を開放した。
水門は高潮で閉める場合がほとんどで、津波で閉めたのは、近年ではチリ大地震(10年2月)の時だけ。警報・注意報の発令では閉鎖せず、同組合管理者(現在は河村たかし名古屋市長)を本部長とする防災対策会議が潮位の変化に基づいて判断する。高潮の場合は高さ3メートル以上で閉めるが、津波では潮位などの明確な基準はない。
名港管理組合は「潮位を見守っており、すぐに閉門するという判断には至らなかった。その後、急激に潮位の変動が起こる可能性が生じたため閉鎖を決めた」と説明しており、適切な対応だったとの姿勢を示している。
だが名古屋大大学院の川崎浩司准教授(海岸工学)は「津波に対し、より迅速に対応できるシステムの構築が必要だ。チリ大地震のように震源が遠いケースと、震源が近いケースでマニュアルを別々に整えておくことが理想的」と指摘している。
毎日新聞 2011年5月13日 2時30分(最終更新 5月13日 3時12分)
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