Tuesday, April 5, 2011

人文学の総力を挙げて探究

東アジアを貫く「仏教」文明を
人文学の総力を挙げて探究

重点領域機構 東アジア「仏教」文明研究所

 早稲田大学が強い教育研究分野とは――そう聞かれて、学内・学外の人を問わず必ず挙げられるキーワードの1つが「アジア」であろう。伝統的に中国や韓国をはじめ、アジアから多数の留学生を受け入れてきたこと、アジア研究を専門とする教員が多いことなどがその根底にある。しかし意外なことに、前近代に関してアジアにターゲットを絞った研究を組織的に推進するようになったのは、ほんのここ10年ほどのことだという。

東アジア「仏教」文明研究所所長を務める大橋一章教授

 その最初の契機となったのが、文部科学省の21世紀COEプログラムの採択拠点として2002年から5年間にわたり設置された「アジア地域文化エンハンシングセンター」である。当時の文学部教員を中心に、アジア関連の研究を専門とする教員たちが集結し、アジア地域文化学と呼びうる新しい学問の創成と、若手研究者の育成を目指して組織されたプロジェクトである。四川モデルという中心的テーマをベースに、東アジアの前近代社会における中国文明と近隣地域文化の重層的な関係を探究する、学際的なプロジェクトが推進された。

 このプログラムを発展的に継承したのが、文部科学省/日本学術振興会による大学院教育改革推進プログラム(通称GP)に採択された「アジア研究と地域文化学」(2007年9月~2010年3月)である。社会の様々な分野で幅広く活躍する高度な人材を育成するために、組織的・体系的かつ実質的な大学院教育への取り組みを支援する同プログラムのもとで、21世紀COEプログラムの教育分野の成果は、大学院文学研究科人文科学専攻の「アジア地域文化学コース」(博士後期課程)の設置へと結実した。同コースでは、アジア地域文化学という学際的な枠組みのなかで、多彩な研究テーマに取り組む学生を、専門分野の異なる5人の専任教員がチームを組んで指導にあたる指導体制を導入するなど、従来にはないかたちの大学院教育が実現された。

 そして2010年、一連の流れを継承しつつ新たにスタートしたのが、早稲田大学の新たな戦略研究のための組織制度である重点領域研究機構に設置された〈東アジア「仏教」文明研究所〉である。同研究所の所長であり、21世紀COEプログラム以降、この10年のアジア研究への取り組みを牽引してきた大橋一章 文学学術院教授に話を聞いた。

アジア研究者の横の連携を形成

 早稲田大学のなかでも、文学部は人文学の一大拠点である。そのなかで他に類のない独自性の強い分野として、演劇研究、そして文学学術院の教員のじつに6割近くをも占めるアジア研究がある。高度教育研究拠点の形成を支援する21世紀COEプログラムではこの2分野が、それぞれ拠点として採択された。

 「正直、選ばれるとは思っていませんでした(笑)。数えてみたら確かにアジア研究者は多いのだけれども、横のつながりがほとんど取れていなくて、応募時には寄せ集めて名前を挙げたのに近い状況でした。大学はひと昔前の大部屋時代とは違って、教員一人ひとりが研究室を持って、個人単位で活動するようになっている――本学に限らない問題だと思いますが、同じ専攻に所属していても、教員同士が教育や研究で何かを一緒にやるという機会がほとんど持てなくなっていました」(大橋教授)

 こうした状況のなかで、何人かの若い教員が21世紀COEへの応募に声を上げた。いち早く横断的な共同研究に自発的に取り組み、アジア研究のプロジェクト研究所を組織するなどしていた有志たちである。21世紀COEに採択されれば、若手研究員を多数雇用したり、海外から研究員を長期に招聘して共同研究を進めたり、海外の研究機関や政府機関と公式に連携を取って調査研究やシンポジウムを開催するなど、研究を組織的に推進していくことが可能となる。個人単位ではできない国際的な研究が、組織体制を整備することで格段にやりやすくなる。

 「若い人たちの熱意に押されました。私は当時、第一文学部の学部長でしたが、これからは自分の研究はさておいても、若い人たちの後押しをしていくことが務めだと考え、21世紀COEの旗ふり役を務めることにしたのです。運良く採択されたことを契機に、本学のアジア人文研究を、アジア学というべき1つの学際分野にまとめ上げていくことを目指してきました」(大橋教授)

 冒頭で述べたように、この10年間、まさにねらい通りの展開をみせてきた。大学院博士後期課程のアジア地域文化学コースで学んだ大学院生のなかからは、すでに教員や研究員として独り立ちするものが輩出している。

 2010年からは、東アジア「仏教」文明研究所を新たな拠点として、〈文明移動としての「仏教」からみた東アジア世界の歴史的差異と共生の研究〉という5年間(予定)の重点領域研究プロジェクトがスタートした。連携の基礎がためはできてきた。次の段階として考えられたのが、異なる専門分野の研究を横断的に貫く共通テーマの設定であり、それが「前近代の東アジアにおける仏教文明の伝播」だった。

東アジア世界の共通項を求めて

世間秩序プロジェクト主催による講演会「最近発掘された百済の寺院伽藍について」(講師:李炳鎬:韓国国立中央博物館 学芸研究官/2010年11月26日)

 10年間で改めて認識されたのが、アジアという概念の茫漠さである。地域の境界はあいまいで、広くは中東イスラム圏とも重複する。逆に日本では、アジアというと、きわめて狭い東アジアを指すことが少なくない。アジア史やアジア研究というものは明確には存在せず、日本においては東洋史という名のもとで、中国を中心とする東アジアの研究がこれまでのアジア学の中心的な位置を占めてきた。となれば、既存の東アジア研究をベースとしながら、周辺地域との比較や関係までを含み込んだ東アジア研究へと拡張していく方策を考えるのが現実的である。

 「1年以上をかけてメンバーで議論し、浮上してきたのが、仏教の伝搬という共通項でした。インドで誕生した仏教は、中国へ伝わり漢民族の漢文化で包み込まれた中国仏教となって、日本や韓国をはじめとする中国周辺の東アジア諸地域へと伝播していきました。前近代の中国仏教の伝播が、それぞれの地域社会、地域文化にどのように影響を及ぼしたかを研究しようというのが、今回のテーマです」(大橋教授)

上記講演会で取り上げられた百済・定林寺址の空撮写真。定林寺の伽藍配置は百済寺院のプロトタイプであることが明らかになっており、日本への影響関係が注目されている

 プロジェクトは、(1) 世間(世俗)秩序との交差、(2) 造形と諸表現、(3) 宗教としての複合化、の3つのグループに分かれて研究に取り組んでいる。(1) 世間秩序プロジェクトでは、仏教文明に遭遇することで東アジア世界にどのような世間(世俗)秩序が誘発され自覚させられたのか、(2) 表現プロジェクトでは、仏教文明の移動によってどのような表現形態と技術・技巧が育成されたのか、(3) 複合宗教プロジェクトでは、仏教文明との遭遇によって、どのような宗教が創生されていったのか(道教、呪術、陰陽道、神祇、民間習俗などとの融合や諸儀礼の実践など)を、それぞれ探究している。

 「前近代の東アジア世界を理解することで、現代の東アジア世界が別の角度からもっとよく見えてくるだろうと思います。例えばわが国では、仏教と漢字の伝来が一緒にやってきて、漢字が日本語の表記文字として使われた。漢字以前には文字というものがなかったので、漢字を日本語表記に使うためにまず万葉がなが考案され、漢字を省画してカタカナを、また漢字をくずしてヒラカナをつくった」(大橋教授)

 こうした新たな背景解釈にもとづき、既存の研究の解釈の根本的な見直しを図るような研究も行われている。例えば、法隆寺金堂の釈迦三尊像の背面に、西暦623年に彫られた銘文がある。聖徳太子が亡くなった翌年に、菩提を弔うために書かれたといわれているが、それがどういう経緯で、どのような意味をもって書かれたのかの再解釈の研究などにも取り組んでいる。

求心的なテーマでの成果発信

国際シンポジウム〈君主権の構築と「仏教」文明:日本列島を中心にして〉
(2010年12月11日/早稲田大学大隈小講堂)

 さらに、毎年度ごとにプロジェクト全体を包括するより求心的なテーマを設定して、シンポジウムや出版などへの取り組みも行われている。2010年度は「王権と仏教のかかわりあい」というテーマのもとで、12月には海外や他大学からの講演者も招いて、国際シンポジウム〈君主権の構築と「仏教」文明:日本列島を中心にして〉を開催した。2011年中には発表内容をベースに書き下ろし原稿をまとめ、本として刊行する準備を進めている。

 「10年前には、ここまで組織的な連携が進むとは思ってもみませんでした。現代アジアの研究グループとも折々に連携してきました。東アジアのなかで、やはり本学が国際的な教育研究拠点としてアジア研究を引っ張っていかなければという使命感を強く持っています。今回の重点領域研究には、これまでの取り組みの総仕上げという感があります」(大橋教授)

 人文学のアジア研究は、政治学、経済学、社会学の分野でのダイナミックな現代アジア研究とはまた違った側面から、東アジア地域共同体の実現にも貢献していくことができるだろう。

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