Tuesday, March 27, 2012

「カーネーション」終了でも「だんじり」は永遠に


2012.3.26 16:30 朝ドラ「カーネーション」

朝の連続テレビ小説「カーネーション」主人公のモデルでファッションデザイナーの小篠綾子さんが営んだ洋装店。リニューアルされ、ギャラリーとなっている
朝の連続テレビ小説「カーネーション」主人公のモデルでファッションデザイナーの小篠綾子さんが営んだ洋装店。リニューアルされ、ギャラリーとなっている
 NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」がいよいよ今週いっぱいで終了する。
 賛否両論の尾野真千子さんから夏木マリさんへの主役交代など、最後まで話題豊富で、視聴率も良かった。舞台になった岸和田市もずいぶん全国的に知名度がアップしたようだ。
 モデルになった小篠綾子さん(ドラマでは小原糸子)には生前、一度だけお会いしたことがある。
 古い話になるが、1994(平成6)年は国連の「国際家族年」で、新年企画として社会面で「家族の肖像」を連載した。その第1回として、元日の紙面で取り上げたのが、小篠綾子さんと、娘のヒロコ、ジュンコ、ミチコ3姉妹のコシノファミリーである。
 当時、綾子さんは傘寿(80歳)を過ぎてなお現役デザイナーとして活躍していた。噂には聞いていたが、元気いっぱいの大阪のオバチャンで、一目見ただけでヒロコさんらのお母さんとわかった。
 いずれも世界的なファッション・デザイナーとして活躍している3姉妹に話を向けると、何言うてますねん、という感じで、「娘たちはライバルですわ。私は4姉妹のつもりで頑張ってます」とおっしゃったのが印象に残る。
 ドラマがスタートしてまもなくの昨年秋、久しぶりに岸和田を訪ねた。
“糸子”の名の由来は
 南海岸和田駅に降りると、構内にカーネーション・コーナーがあって、「コシノファミリーゆかり地マップ」が置いてあった。それを手に、駅から海側に伸びるアーケードの駅前商店街を歩く。100メートルほど行ったところに「洋裁コシノ」の看板がかかった間口2間(約3・6メートル)ほどの小さな店があった。
 1階はファミリーのオリジナル商品や地元の名産を販売するショップ、2階はギャラリーになっている。その一角に綾子さんの仕事場を再現した部屋があり、古いミシンが置いてあった。このミシンこそ綾子さんの、そしてコシノファミリーの原点である。
 岸和田は城下町で、だんじり祭で有名だが、かつては紡績産業で栄えた。綾子さんの実家は呉服商で、母方の祖母が「一生糸へんで食べていけるように」と念じて名付けたという。
 綾子さんの自伝「コシノ洋装店ものがたり」によると、洋服に興味を持ちだした女学校のころ、まだミシンは高価で家庭にはなかった。岸和田にミシンを使っている店があると聞き、「それから毎日、学校が終わると吸い寄せられるようにその店に行き、店の前にずっと立ち尽くし、ミシンの動きに見とれ、いろんなものを作る夢を見たのです。(略)まるでミシンが私の夢を生み出す魔法のランプのように見えました」という。
ドラマと同じ、徹夜で気迫のミシン

 独立して洋装店を開くまでの話は端折るが、娘たちの幼い記憶には常にミシンがある。「深夜、明かりがもれる店で、一心不乱にミシンを踏んでいた。立派になってお母ちゃんを楽にしてあげなあかん。そう思わせるすごい気迫があった」とヒロコさんは回想している。
 ヒロコさんが6歳の時、綾子さんの夫に召集令状が届いた。ジュンコさんは3歳になり、お腹にはミチコさんがいた。そして夫の戦死という悲報が届いた。仕事と子育てを両立させる綾子さんの姿は、3人の子供たちには「一家を支える父親」と映った。
 綾子さんはそれを「だんじり魂」と表現したが、だんじりの屋根に乗って勇壮、華麗に舞う大工方は男だけだ。そんな街に生まれ育って、「男の人は好きなことを自由にできるのだから、私もふつうに好きなことをしてもおかしくないと思ったのです」(「コシノ洋装店ものがたり」より)という反骨心が支えになったのだろう。
 岸和田はだんじり祭の町として有名だ。旧市街は歩道に段差がなく、車道と歩道を分けるラインが引かれているだけだ。これはだんじりが威勢よく走り回るためだろう。
 誰もがだんじり祭を生きがいにしており、9月のだんじり祭が終わると、すぐに翌年の準備が始まる。明るく、カラッとしたラテンのノリで、まるでブラジルのリオのカーニバルのようだ。
 紀州街道など旧市街は、岸和田城の城下町として栄えた江戸時代の面影を残す。「カーネーション」で有名になったが、ほかにも見どころは多い。
 同じ泉州の泉佐野市が、財政難から市名のネーミングライツ(命名権)売却で話題になっているが、岸和田なら「だんじり市」でも「カーネーション市」でも候補となる名前は多い。でも、そうはしないだろう。市民が岸和田の名前と歴史に誇りを持っているから。
鹿間孝一鹿間孝一
産経新聞大阪特派員兼論説委員。北海道生まれの大阪人。生涯一記者を自任していたが、なぜか社命によりサンケイリビング新聞社、日本工業新聞社で経営にタッチして、産経新聞に復帰した。記者歴30余年のうち大半が社会部遊軍。これといった専門分野はないが、その分、広く浅く、何にでも興味を持つ。とくに阪神タイガースとゴルフが好き。夕刊一面コラム「湊町365」(MSN産経ニュースwestでは「浪速風」)を担当。共著に「新聞記者 司馬遼太郎」「20世紀かく語りき」「ブランドはなぜ墜ちたか」「なにが幼い命を奪ったのか 池田小児童殺傷事件」など。司馬遼太郎に憧れるも、いうまでもなく遼に及ばず。




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