- 2011/7/7付
中世から20世紀にいたるヨーロッパ全体の歴史を知ろうとするならば、欠かせないことがふたつあるという。まずはキリスト教。もうひとつが600年以上にわたって君臨したハプスブルク王朝である。(江村洋著「ハプスブルク家」)
▼王朝はオーストリア・ハンガリー帝国が第1次大戦に敗れた1918年についえた。そのとき6歳。最後の皇帝の皇太子だったオットー・フォン・ハプスブルク氏が4日に98歳で死去した。世が世なら皇帝という人は、米国などでの亡命生活を経て第2次大戦後はドイツに住み、「欧州をひとつに」と訴え続けた。
▼家訓といえばいいか。「戦は他の者に任せよ。なんじ幸あるオーストリアよ、婚姻せよ」というのがハプスブルク流だったそうだ。武力より結婚によって版図を広げ、さまざまな文化や言語を持つ民族をゆるやかに束ねる統治の仕方が真骨頂だった。その柔らかさが、まれにみる長寿王朝を築いた秘訣でもあった。
▼かつて帝国のうちにあり民族紛争の舞台にもなった旧ユーゴスラビアのクロアチアが先ごろ、欧州連合(EU)に入ることが決まった。そうなれば再来年には28カ国の集まりになる。苦労しつつ拡大を続けるEUの歩みは、ハプスブルクが刻んだ歴史と無縁ではないのだろう。もちろん政略結婚は別として、だが。
No comments:
Post a Comment