Thursday, July 7, 2011

07/07 余録:江戸は日本橋浮世小路の「百川」といえば…

 江戸は日本橋浮世小路の「百川(ももかわ)」といえば、落語にも登場する料理茶屋だ。今なら三つ星の名店ということで、幕末にはペリー一行をもてなす日本側の歓迎宴の料理を1000両で幕府から請け負った▲この時は、ヒラメの吸い物、だて巻きや紅ちくわ、車エビやシラウオの炊き合わせ、ヒラメやアジの刺し身、アワビと赤貝のなます、ムツなどの煮物、タイの焼き物など20品目以上の献立が供されている。ただペリー側は日本の歓待を評価しつつも料理の採点は厳しい▲「客人は不慣れの料理でほとんど満腹せず、ひもじい腹を抱えて帰った」とペリーの日本遠征記は記している。肉や乳製品、油脂を用いずに魚介や野菜の持ち味とダシのうまみを生かす日本料理の特質は、当時の欧米人には「貧弱」(同遠征記)と受け止められたのだ▲時は流れ、その同じ特質を「健康的で、洗練された日本食」と世界のグルメが受け止めるようになった今日である。ならばその世界無形文化遺産登録をめざそうとの動きが農林水産省で進められている。これまで食文化ではフランス、メキシコなどが登録されている▲背景には日本食の評価が高まる中で起こった原発事故がある。風評による食材の輸出落ち込みや、海外の観光客の激減という逆風の中、日本の「食」の信頼回復の一助にしたいというわけである。こちらは開国後の日本料理の名誉回復のようには時間をかけられない▲思えば、すしや天ぷらなど庶民の屋台から国際的な人気料理を生み出した日本人だ。ここは高級料理での幕末の失敗からも学び、日本の食文化の元気良さ、奥の深さをアピールできればいい。

毎日新聞 2011年7月7日 東京朝刊

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