東日本巨大地震で、東京電力福島第一原子力発電所の1号機と3号機で発生した水素爆発の際の原発内の様子が、東電の協力会社社員の証言で明らかになった。
そこには、突然の爆発に動揺しながらも、次第に落ち着きを取り戻し、危機回避に全力で取り組む作業員らの姿があった。
◆圧力上昇◆
協力会社の男性社員は11日午後2時46分、原発の敷地内にある建物で激しい横揺れに見舞われた。おびえた女性作業員が泣き出した。揺れがおさまり屋外に出ると、作業員が大勢施設から出てきていた。約30分後、海の方から「ゴー」という音が聞こえた。津波だった。
1号機から300メートルほど離れた免震重要棟2階の「緊急時対策室」に現地対策本部が設置され、原発所長をはじめ、東電や協力会社の社員ら約300人が集まってきた。部屋の広さは学校の体育館の半分くらい。壁には大小のモニターがあり、東電本社内の様子も映し出されていた。
「圧力が上がっている」「(放射)線量は○シーベルト」。作業員が慌ただしく出入りし、全員に情報が伝わるようマイクを使って現場の様子が逐次報告される。
作業員らは、原子炉やタービン、救護など20~30人ずつの班に分かれた。異常に上昇した原子炉の格納容器内の圧力をどう下げるかが緊急の課題となり、ある班では、テーブルに図面を広げ、弁を開いて圧力を減らすベントの方法について議論を交わしていた。「圧力がこのまま上昇し続ければ、耐えられなくなる。早くベントをしないとダメだ」という声が聞こえた。
夜が明けても、状況は好転しなかった。12日朝、視察に来た菅首相と廊下ですれ違った。
◆「地震か」◆
午後3時36分頃、「ボン」という音がして、免震棟が揺れた。床に座っていた体が一瞬、浮き上がった。「直下型の地震か」。状況をつかめずにいると、モニターから流れていたニュースで白煙を上げる1号機が映し出された。水素爆発だった。
「けが人がいる模様。救急車要請!」「線量をすぐに確認しろ!」。怒号が飛び交う。救急車のサイレンが聞こえる。
(2011年3月31日14時35分 読売新聞)
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