6月30日付
駆け出しの頃、陳腐な表現は使うなと、先輩記者に教えられた。宿舎の甲子園球児は「底抜けの笑顔」で食事を「ペロリとたいらげ」てはならず、景気のいい商店主は「えびす顔でうれしい悲鳴」を上げてはいけない、と◆さすがにもう、その種の失敗はしないが、「歯の根も合わぬ」寒さや「めまいのする」空腹は、いまも油断すると顔を出す◆〈夜は、画用紙一まいでねました〉(名取市・閖上小4年 玉田礼菜)。〈(もらった1個のおにぎりを)十分ぐらいかけて食べました〉(南三陸町・志津川小6年 小山嘉宣)◆「被災地のこども80人の作文集」と副題の付けられた雑誌『つなみ』(=「文芸春秋」臨時増刊号)には、紋切り型とは無縁の「寒さ」があり、「空腹」がある。〈4月10日におとうさんが、みつかり一週間後おとうさんのかそうをしました。とてもざんねんでした〉(石巻市・渡波小2年 鈴木智幸)。おそらく「かそう」(火葬)という言葉は、生まれてから口にしたこともなかっただろう。語彙 や技巧を超えた一語一語が読む者の目を立ち止まらせてやまない◆言葉の力とは何だろう。
(2011年6月30日01時15分 読売新聞)
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