Friday, December 16, 2011


のり漁師は元証券営業マン(震災取材ブログ) 
@宮城・七ケ浜

2011/12/16 12:00
 3月11日の地震発生時、船上にいた宮城県七ケ浜町ののり漁師、星博さん(59)が身のすくむ思いをしたのは、浜に駆け上がった後だった。巨大な水の壁が一瞬にして数十隻もの船をのみ込み、海辺の建物を押し流していく。自身も大切な養殖資材の大半を失った。「なじょすっぺ(どうしよう)」。これから家族を養っていけるのか。ロウソクの明かりの下で過ごす夜、生活の不安ばかりが頭をよぎったという。
津波で失った資材を再び買いそろえ、養殖を再開した
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津波で失った資材を再び買いそろえ、養殖を再開した
 それから9カ月。民間のファンドから資金を調達し、事業再開を果たした星さんに12月9日、話を聞いた。1時間を過ぎたころ、問わず語りに漏らしたのは、30年以上前に旧山一証券で営業マンとして働いた当時の記憶だった。
 「20代で年1500万円稼いでいたけど、本当にしんどかった。早朝や深夜、休日にしか会えない相手も多い。365日フルタイムで走り回っていたようなもの」。とりわけ鮮明に思い出すのは1973年のことだ。
 「前の年、株価はものすごい勢いで一本調子に上がり続けていた。それが正月から突然下落に転じ、顧客が皆、離れていった。懸命だった。不況になるとビジネスマンには期待できない。景気の影響を受けにくい業種、例えば医師に的を絞って死にものぐるいで営業をかけた」
 がんで母を亡くした父を手伝うため、山一は3年で退社した。短い期間ながらも修羅場をくぐり抜けた経験は、今なお、星さんを支えている。朗らかな表情を見ると、そう感じた。
 当時と現在、どちらがつらいか。愚問を承知で尋ねると「苦しいのは、いつも」と笑い飛ばされた。
 星のり店の独自技術による高品質商品は海外にも得意客がいる。「この年で借金して再スタートするのも楽ではないけれど、待っていてくれる人もいるし、頑張るしかないね」。星さんはクリスマスに還暦を迎える。(舘野真治)

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