Saturday, April 2, 2011

25/03 “心の家”を建て、明日に向けて家族の絆を

2011年3月25日

 「あっ、結婚式のアルバムだ…」

 もと家があった所から数百メートルも離れたところで、わが家と思しきがれきの中からそれを見つけ出し、丁寧に泥をはらいながら呆然と見入る被災者の姿が画面に映し出された…。

 それまで東日本大震災の大津波の脅威や、被災の悲惨な状況に声を詰まらせながらもテレビを見ていた私でしたが,ついに涙がとめどなく溢れ出てきました。建築や住まいの専門家として、その非力にわが身を恥じ入るばかりで言葉を失いました。

 大災害が起こるたびに幾度となく聞かされた「自然の脅威」の言葉に怒りさえ覚えます。少年時代に体験した伊勢湾台風、そして阪神大震災や中越地震では現場にも赴き、その対処策などに挑んで来たつもりなのですが…。震度6強、あるいは震度7の揺れにも耐えた構造物や住まいも、その後に起きた大津波の容赦ない巨大な水圧に、一瞬にして流されてしまったのです。ただただ、お一人でも多くのご家族のご無事の再会と、急場の避難所での健康をお祈りするばかりです。

 皮肉にも、つい先日のクライストチャーチの地震や阪神大震災のような直下型の地震とは違って、関東大震災など沖合の深い所を震源とするプレート型の地震は、連鎖によってさらに増幅し、巨大地震になるといったお話をしたばかりでした(同コラム3月4日)。

 1995年1月17日発生の阪神大震災の後、私は厚生省(現厚労省)の「大規模災害救助研究会」(1999~2000年)で、防災、福祉、医療、報道さらに復興住宅などの専門メンバーの一員になりました。ここで出た、救助と避難生活でのご提案をお伝えしたいと思います。しかし、この度は大地震と大津波さらに原発事故の三重苦の被災者の方もおられ、南北500キロにも及ぶ広域広範な地域で数十万規模の人々が被災している中で、参考となるかどうか…。

 救援物資供給に手間が掛かり、避難所暮らしも長くなりそうな中、お願いしたいことは、その避難所のなかで、あえて意識的に「時間」と「空間」を構築することだと思うのです。「時間」とは、日常の生活を極力規則正しくし、3度の食事をし、排便をし、きちっと睡眠をとる。そして誕生日などの行事も積極的に行って、平生の時間を意識することです。

 そして「空間」とは段ボールなど簡単なついたてで区画し、最低限のプライバシーを確保することです。まさしく想像の中で“心の家”を建てるのです。ここに仏壇、ここが台所、そして収納などと、わずか2畳ほどのスペースでも家族の生活の場をつくるのです。さらに避難所を小さな町と例え、まさしく家族、近隣、学区などフェース・トゥー・フェースの絆のネットワークを意識的に構築するのです。サポート側もこうした単位をまとめ、村や町を意識し、復興への足掛かりを皆で作ることで明日を意識することができると思うのです。

 今まだ余震も続き、不明者捜索の最中ですが、アメリカ留学中の私の娘の友人たちをはじめ、世界中からエールが届いています。皆が「何か役に立ちたい!」、そして「がんばれ・ジャパン!」と見守ってくれているのです。

 今年はお彼岸を過ぎても零下になるなど例年になく寒い毎日ですが、もうすぐ桜の花も咲いて暖かい春が来ます。そのうち電気も通じ、水道も復旧し、鉄道も通じることでしょう。復興住宅も各地に建設され始めており、各市町村都道府県の集合住宅も提供されています。やがて新たな街もできます。私からも僭越ですが… “Always be Strong” の言葉を送りたいと思います。


天野彰(あまの・あきら)
岡崎市生まれ。日本大学理工学部卒。一級建築士事務所アトリエ4A代表。

「日本住改善委員会」(相談窓口・東京都渋谷区松涛1-5-1/TEL03-3469-1338)を組織し「住まいと建築の健康と安全を考える会 (住・建・康の会)」など主宰。住宅や医院・老人施設などの設計監理を全国で精力的に行っている。TV・新聞・雑誌などで広く発言を行い、元通産省「産業構造審議会」や厚生労働省「大規模災害救助研究会」などの専門委員も歴任。「日本建築仕上学会」副会長とNPO法人「国産森林認証材で健康な住環境をつくる会」代表。

著書には、新刊『建築家が考える「良い家相」の住まい』(講談社)、『六十歳から家を建てる』(新潮選書)、『地震から生き延びることは愛』(文藝春秋)、『新しい二世帯「同居」住宅のつくり方』(講談社+α新書)、新装版『リフォームは、まず300万円以下で』(講談社 実用BOOK)など多数。

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