Thursday, June 21, 2012

元オウムNo.2の女性幹部 突然、アレフ本部に現れ狂乱する


 発生から17年たったオウム真理教事件。菊地直子容疑者の逮捕、高橋克也容疑者の逃亡などで、オウム真理教が再び注目を集めている。オウムといえば、女性信者が多いことでも知られていた。
『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』(三五館刊)の著者で、2007年に上祐氏が設立した宗教団体「ひかりの輪」に所属する元信者・宗形真紀子さん(43才)は、入信のきっかけをこう話す。
「1988年11月、20才の時に友人の誘いで東大の学園祭に行き、そこで『麻原彰晃講演会』というひときわ目をひく巨大な看板を見たのがオウムとの出合いでした。その時にもらった雑誌に載っていた女性信者の解脱(欲望からの超越)の成就体験談を見て、とても驚いたのを覚えています。頭上から光がさしてくるような気さえしました」
 当時、「途方もない孤独感」に苛まれていたという宗形さんは、翌12月に入信。その1か月後には出家を決意したという。
 彼女が入信する動機ともなった憧れの女性信者は、最古参幹部のひとり、岩田弘子(仮名・61才)だった。麻原に次ぐ教団ナンバー2で、教団の「大蔵大臣」として教団の財政を統括。メディアに最も多く登場した女性信者だ。
 横浜市で生まれた岩田は、短大を卒業後、保険会社のOLとして働いていたが、1984年6月にオウム神仙の会に入会。1986年に出家し、弟子の中でいちばん最初に解脱したとして最高位の「正大師」となった。   信者獲得や教団の運営に力を発揮する一方、麻原の寵愛を受け、彼との間に3人の子供を産んでいる。
 岩田は、サリン事件の実行犯などに逃走資金を渡した犯人隠匿などの罪で1995年11月に逮捕。懲役3年8か月の有罪判決を受けることになった。
 裁判ではとうとうと麻原への愛情を語っていたが、2000年11月に刑期満了で出所した時の会見では、「敬愛の気持ちはなくなった」とし、謝罪とともにこう切々と訴えた。
「これからは3人の子供と共に、両親の援助を受け、福祉事務所の世話になり、生活を立て直して、社会復帰したい。住民票を受理し、子供を学校に入れてほしい…」
 麻原に最も近い立場にあった岩田から見る「オウム」とは何だったのか――6月上旬、岩田の住む関東地方にある自宅を訪ねた。築30年以上経つ小さなアパートの一室。彼女は不在だったが、近所の住民によると、訪問介護の仕事をしながら、父親と2人で暮らしているという。
「近所づきあいはほとんどなくて、すれ違えば挨拶する程度。少し猫背で、なんだか自信なさげな人ですね。洋服を着飾ることはなく、質素で暗めの色が多いかな。お父さんはかなり高齢で、ほとんど外出もしません。子供たちが一緒にいる様子もありません」(近隣住民)
 そこにはかつて「女帝」として君臨したころの面影はまったくなかった。宗形さんは出所後の彼女に会ったことがあるという。
「2002年ころ、彼女が突然、アレフ(オウム真理教より改称)の本部に現れて、『マイトレーヤ(上祐氏のホーリーネーム)はどこ? 金庫はどこ?』などと、訳のわからないことを叫びながら、部屋をのぞき回ったんです。あまりの狂乱ぶりにみんながあ然としていました」
※女性セブン2012年6月28日号

2012.06.16 16:00


No comments:

Post a Comment