発生から17年たったオウム真理教事件。菊地直子容疑者の逮捕、高橋克也容疑者の逃亡などで、オウム真理教が再び注目を集めている。オウムといえば、女性信者が多いことでも知られていた。
『二十歳からの20年間――“オウムの青春”の魔境を超えて』(三五館刊)の著者で、2007年に上祐氏が設立した宗教団体「ひかりの輪」に所属する元信者・宗形真紀子さん(43才)は、入信のきっかけをこう話す。
当時、「途方もない孤独感」に苛まれていたという宗形さんは、翌12月に入信。その1か月後には出家を決意したという。
彼女が入信する動機ともなった憧れの女性信者は、最古参幹部のひとり、岩田弘子(仮名・61才)だった。麻原に次ぐ教団ナンバー2で、教団の「大蔵大臣」として教団の財政を統括。メディアに最も多く登場した女性信者だ。
横浜市で生まれた岩田は、短大を卒業後、保険会社のOLとして働いていたが、1984年6月にオウム神仙の会に入会。1986年に出家し、弟子の中でいちばん最初に解脱したとして最高位の「正大師」となった。 信者獲得や教団の運営に力を発揮する一方、麻原の寵愛を受け、彼との間に3人の子供を産んでいる。
岩田は、サリン事件の実行犯などに逃走資金を渡した犯人隠匿などの罪で1995年11月に逮捕。懲役3年8か月の有罪判決を受けることになった。
裁判ではとうとうと麻原への愛情を語っていたが、2000年11月に刑期満了で出所した時の会見では、「敬愛の気持ちはなくなった」とし、謝罪とともにこう切々と訴えた。
「これからは3人の子供と共に、両親の援助を受け、福祉事務所の世話になり、生活を立て直して、社会復帰したい。住民票を受理し、子供を学校に入れてほしい…」
麻原に最も近い立場にあった岩田から見る「オウム」とは何だったのか――6月上旬、岩田の住む関東地方にある自宅を訪ねた。築30年以上経つ小さなアパートの一室。彼女は不在だったが、近所の住民によると、訪問介護の仕事をしながら、父親と2人で暮らしているという。
「近所づきあいはほとんどなくて、すれ違えば挨拶する程度。少し猫背で、なんだか自信なさげな人ですね。洋服を着飾ることはなく、質素で暗めの色が多いかな。お父さんはかなり高齢で、ほとんど外出もしません。子供たちが一緒にいる様子もありません」(近隣住民)
そこにはかつて「女帝」として君臨したころの面影はまったくなかった。宗形さんは出所後の彼女に会ったことがあるという。
「2002年ころ、彼女が突然、アレフ(オウム真理教より改称)の本部に現れて、『マイトレーヤ(上祐氏のホーリーネーム)はどこ? 金庫はどこ?』などと、訳のわからないことを叫びながら、部屋をのぞき回ったんです。あまりの狂乱ぶりにみんながあ然としていました」
※女性セブン2012年6月28日号
No comments:
Post a Comment