Monday, January 16, 2012

廃材を宝に変える 下町の町工場連合が商品開発


2012年1月16日

関連トピックス

写真:それぞれの「配財」をもちよった面々。後方に東京スカイツリーがみえる拡大それぞれの「配財」をもちよった面々。後方に東京スカイツリーがみえる
写真:廃材でつくった万華鏡をのぞくデザイナーの三田さん。腰にしているのがヒップウオーマー=「配財プロ」の事務局拡大廃材でつくった万華鏡をのぞくデザイナーの三田さん。腰にしているのがヒップウオーマー=「配財プロ」の事務局
写真:廃材でつくった万華鏡は、青や赤など色とりどり、こんなふうに見える拡大廃材でつくった万華鏡は、青や赤など色とりどり、こんなふうに見える
 東京スカイツリーのおひざもと、東京都墨田区。地元の町工場の2代目、3代目たちが来月、「連合体」をたちあげる。仕事場で捨てていた廃材は財産だ、と再利用して商品をつくり販売する。「社会に配る」という意味を込め、その名も「配財プロジェクト」だ。
 墨田区で60年余り前に創業し、5年前に江東区に移った「小高莫大小(めりやす)工業」。従業員10人の町工場が「ヒップウオーマー」という商品を開発し、ネットなどで売り始めている。
 腹巻きの幅を50センチほどにして、腰からお尻の下まで覆う。1890円。
 洋服の襟やそでの部分をつくって、アパレルに納める。端材がでて、流行の色からはずれた生地も使えない。すべて捨てていた。
 だが、3代目の小高集(つどい)さん(39)は、知人たちから「もったいない。使えるじゃない」と言われていた。
 昨年の3月11日、東日本大震災がおきた。被災した人たちが、寒さにふるえているのを知った。
 「いますぐ、ぼくら町工場らしい支援をしよう」
 そう思った小高さんは、仲間らに声をかけた。
 捨てるはずだった生地を使い、ミシンをフル回転。アップリケもつけたヒップウオーマー600枚をつくり、被災地に送った。
 改良を重ねて昨年6月、商品化した。半年で約80枚売れた。
 配財プロ立ち上げの話が持ち上がったのは、2010年夏だった。
 廃材は価値がないどころか、捨てるのに経費さえかかる。でも、町工場の経営者たちが集まり、デザイナーらを巻き込めば、廃材が宝に見え、価値が生まれるのでは、と考えた。
 参加するのは、風船屋「マルサ斉藤ゴム」の3代目の斉藤靖之さん(36)。印刷がずれたり、つくる途中で割れたりした風船の破片。「捨ててしまうのに罪悪感がありました」
 岩井保王さん(42)は「岩井金属金型製作所」の3代目。佐藤憲司さん(41)は、ウレタンを型で打ち抜く「サトウ化成」の、浜野慶一さん(49)は、板金加工「浜野製作所」のそれぞれ2代目だ。
 ほかにも、めっき工場、木工所、ナット製造、など10人をこえる経営者が賛同。地元のデザイナーや工芸作家も加わる。
 
すでに、いくつかの商品をつくってきた。例えば万華鏡。筒は糸を使い切って残った糸巻きで、中に、金属部品のあまりや風船の破片などを入れている。
 ものづくりの楽しさを味わってもらうため、組み立てセットにした。スカイツリーの近くにある「すみだもの処(どころ)」で、一つ1500円で売っている。
 生地を使ったブックカバー、金属のあまりと革でつくったバッジも売ってきた。商品開発のほかに、廃材を売り買いする「配財市場(いちば)」も開く計画だ。
 2月、非営利の一般社団法人として、連合体を立ち上げる。各地の町工場との連携も進める予定で、全国約500の町工場の交流会「モノヅクリンク」にも参加している。
■ものづくりの魅力、次世代に
 「配財プロジェクト」は、参加している町工場を巡るツアーや、ものづくりの体験教室も開いていく。
 様子をユーチューブなどにアップしたり、ブログで発信したりして、その町工場のPRをする。
 墨田区の戦後復興は、ものづくりが支えてきた。だが、工場数は1970年には9703あったものの、2008年には3391と約3分の1に減っている。
 都心のオフィスに通うサラリーマン家庭が増え、墨田区に町工場があることさえ知らない住民もいる。
 配財プロの事務局に常駐するデザイナーの三田大介さん(39)はいう。「産業観光を通じて、次の世代にものづくりの楽しさを伝えていかないと、墨田のものづくりが危うくなる」
 配財プロは、内閣府が11年におこなった社会起業コンペで、最優秀賞を受けた。東京都からも、経営革新に優れているとして、参加する浜野製作所が表彰された。
■〈記者の視点〉技術と知恵で未来を開け
 バブル崩壊、リーマン・ショックなどの試練のたびに、「もう町工場は限界だ」と言われてきた。超円高が続くかぎり、産業の空洞化は止まらない。親会社の指示を待つだけでは、町工場に未来はない。
 墨田の若手らは、未来をつかもうと集まった。「廃材を配財に」の切り口で、ビジネスモデルの可能性を追求しはじめた。
 ものづくり大国を支えてきた町工場には、すごい技術がある。束になったら強い。知恵を出しあって、限界説を吹っ飛ばせ。(中小企業担当=中島隆)


No comments:

Post a Comment