「公共工事をめぐる企業との癒着を背景に、政治活動の批判と監視のよりどころである政治資金収支報告書にウソを書き、不信感を増大させた」
小沢一郎氏の政治資金団体に関する裁判で、東京地裁はそう指摘し、元秘書3人に有罪を言い渡した。中堅ゼネコンから裏金が提供された事実も認定した。政界の実力者の金権体質を糾弾した判決といえる。
秘書らは「有罪としても軽微な事案」と訴えていたが、これも退けられ、執行猶予つきながら公民権停止につながる禁錮刑が選択された。起訴後も衆院議員にとどまってきた石川知裕被告は、潔く辞職すべきだ。
小沢氏の責任も極めて重い。刑事責任の有無は氏自身の公判の行方を見る必要があるが、政治的責任は免れない。疑惑発覚以来、その場その場で都合のいい理屈を持ち出し、国民に向き合ってこなかった。判決は、問題の土地取引の原資4億円について氏が明快に説明できていないことをわざわざ取り上げ、不信を投げかけている。
私たちは社説で、こうした氏の姿勢を批判し、古い政治との決別を図るため、政界引退を迫ったこともある。判決を受け、その感はいよいよ深い。
小沢氏は民主党の党員資格停止処分を受けた際、「秘書の不祥事の責任をとった政治家はいるが、それは秘書が容疑を認めた場合だ」と唱えていた。その秘書にそろって有罪が宣告されたいま、改めて身の処し方を考えるのが筋だろう。
裁判での秘書らの言い分は、国民の常識や正義感からおよそかけ離れたものだった。
例えば、小沢氏の政治団体間で資金のやり取りがあっても、ポケットの中身を移すようなものだ。報告書に記載することもあれば、しないこともある。カネの動きと記載時期がずれても問題はない――。判決がこれらを一蹴したのは当然である。
他の政治家も政治資金規正法の目的を胸に刻み、自らに関連する資金の流れを緊張感をもって報告してもらいたい。
描いた構図がほぼ全面的に認められたとはいえ、検察にも反省すべき点は多い。捜査段階の調書の多くは、威迫と利益誘導を織り交ぜながら作られたとして証拠採用されなかった。
供述に頼らず、客観証拠を積み上げ、それによって物事を語らせる。取り調べでは相手の話をじっくり聞き、矛盾を法廷に示し判断を仰ぐ。そんな方向に捜査を見直すことが急がれる。丁寧に立証していけば主張が通ることを、判決は教えている。
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