Saturday, April 23, 2011

23/04 社説:チェルノブイリ 25年の教訓を生かせ

 福島第1原発の事故が収束しない中で、1986年4月26日に旧ソ連(現ウクライナ)チェルノブイリで起きた世界最大の原発事故から間もなく25年を迎える。今も放射能汚染で周囲30キロは居住禁止区域のまま。被ばくが原因とみられる子供の甲状腺がんなど、周辺住民の健康被害も続いている。日本も過去の悲劇から目をそむけず、謙虚に教訓を学ぶ姿勢が求められる。

 無論二つの事故を単純に比較することはできない。チェルノブイリでは原子炉自体の爆発と火災で大量の放射性物質が大気中にまき散らされた。福島では原子炉を覆う格納容器から放射性物質が漏れたが、原子炉が破壊されたわけではない。大気中の汚染レベルも10分の1以下とされる。旧ソ連政権は原発職員ら31人の死者を出して約10日で原子炉を封じ込めたが、日本では事故処理の手法も安全への考え方も違う。一方、原子炉1基の事故だったチェルノブイリと違って福島では4基でトラブルが起き、海洋汚染も加わった。

 原発事故の放射能汚染は同心円状に広がるのではなく風向きなど気象条件にも左右される。チェルノブイリでは原発から北東に300キロ離れた地点まで高レベルの汚染が広がっていたことが判明している。日本も今後、原発周辺のさらにきめ細かい汚染調査に取り組まねばならない。

 チェルノブイリ周辺では今も住民の健康被害が報告されているが、ソ連末期の社会混乱など精神的ストレスの影響も指摘され、被ばくとの因果関係は証明できないと切り捨てられる例が多い。長期被ばくがもたらすがんによる死者数も、推計した国際機関によって4000人から1万6000人まで幅がある。低線量被ばくの影響評価が異なるためだ。福島原発の放射性物質漏れも「ただちに健康への影響はない」とされるが、住民への長期にわたる健診と追跡調査を怠ってはなるまい。

 放射能への誤解が生む避難住民への差別、住み慣れた故郷からの退去を拒む人たち、原発閉鎖に伴う代替電源の確保や住民の再就職などは、いずれの事故にも共通する問題だ。周辺地域の汚染除去への取り組みやナタネ栽培による土壌浄化の試みなど、事故後の対策でもチェルノブイリを参考にすべき事例は多い。

 日本で起きた「想定外」の事故は国際社会にも衝撃を与えた。チェルノブイリ事故から25年にあたって19日、ウクライナで開かれた首脳級の国際会議で、日本の高橋千秋副外相は、福島原発事故の早期収束と、検証結果などの情報公開を約束した。事故の教訓を国際社会と共有していくことで新たな国際貢献につなげるよう望みたい。
毎日新聞 2011年4月23日 2時31分

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