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Friday, December 9, 2011

09/12 Olympus' management reform in doubt / Takayama press conference reveals key issues to be left to committee of outside experts

Olympus Corp. President Shuichi Takayama failed to show at his press conference Wednesday how his company would strengthen corporate governance in the wake of its long-running cover-up of investment losses, or how it would prevent the recurrence of a similar scandal.
Takayama's comments at the press conference suggested that the major optical equipment maker would leave these issues to a management reform committee of outside experts it will create.
Takayama said the company's current board members would resign after it paves the way for management reform.

Sunday, August 7, 2011

25/07 編集手帳


7月25日付 

 <今日はお祭りですが あなたがいらっしゃらないので 何の風情もありません>。出征した夫に届いた妻からのハガキ。夫は軍の検閲を嫌って返事を書かず、ハガキを読んだという言づてを戦友に託したことから数奇な物語が始まる◆来月6日に封切られる新藤兼人氏の映画『一枚のハガキ』である。言いたいことを言えない状況が人の運命を変えていく。話の筋を追いながら、戦時中の日本人に似た不自由さに今も耐えている人々のことを思い出した◆アラブ諸国の独裁者に対する民衆の抗議デモは、秘密警察が監視網を巡らすシリアでも起きている。在米シリア人女性はネット上の映像に、抗議に参加した郷里の母の姿を見つけた。実家に電話すると、父が答える◆「行くなと言っても、母さんは病院通いをやめないんだ」。米紙が伝えるエピソードである。「壁に耳あり」の生活を何十年も強いられてきたシリア人には、隠語を使って身を守る習性が染みついているのだという◆それに比べれば、指導者の“自由な”発言に振り回される今の日本はまだ幸せなのだろう。「早くお辞め」と言い返せるのだから。
(2011年7月25日01時27分  読売新聞)

Sunday, July 10, 2011

10/07 編集手帳

7月10日付 

 <遂に爆発・角界革新の叫び/協会大狼狽>の見出しが1932年(昭和7年)1月の本紙に見える。待遇改善や当時の相撲協会の改革を求めた力士が、集団で協会を脱退した春秋園事件。その後相撲人気は長く低迷する◆八百長問題で今年4月、一斉処分が出たことを受けて開かれた緊急力士会は、約80年前のこの事件同様、角界分裂の危機すらはらんでいた。「場所をボイコットすべきだ」の過激意見が飛び出す。制したのは魁皇関である◆「俺たち力士が相撲を取らないでどうする」。場の雰囲気は一変、全員が納得するしかなかった。38歳、最年長関取のひと言が、大相撲の信頼回復へ、力士の気持ちを一つに束ねたと言える◆中学時代、相撲に興味はなかった。入門半年で逃げ出す。反省し、「始めたからには絶対に強くなろう」と稽古に励んだ――『かがやく先輩からのメッセージ』(国立青少年教育振興機構編)で魁皇関が語っている◆「万年大関」「引退か」と言われながら、客席からの歓声は今も角界一である。通算最多の1045勝まであと1勝。大記録へ、きょう名古屋場所初日の土俵に上がる。
(2011年7月10日01時26分  読売新聞)

Saturday, July 9, 2011

09/07 編集手帳

7月9日付 

 団扇うちわを手に、浴衣の女性が縁台で涼んでいる。涼味が伝わっていい図柄だが、表情も姿もモッサリして、見ているとかえって暑苦しい。お世辞にも上手とは言えない◆横浜市の神奈川近代文学館『漱石と文人たちの書画』展で、武者小路実篤の絵を見た。自身、出来ばえには満足していなかったようで、〈失敗の作なりもう百遍ひゃっぺんもかけばいくらかものになるべし〉と添え書きがある。努力の人の面目躍如たる一文だが、ついに上達しなかったらしい◆だから好きだ――と実篤の絵を愛したのは山口瞳さんである。〈私にとって「勉強すれば上達する」ということよりも、「いくら勉強しても上手にならない人もいる」ということのほうが、はるかに勇気を与えてくれる〉と(新潮文庫『木槿むくげの花』)◆失政の責任を他人に転嫁して恥じない首相がいたり、“やらせメール”だか何だか、世間をだますことに血道を上げる電力会社があったり、「愚直」が服を着たような作家が懐かしくしのばれるのも時世ゆえに違いない◆実篤には、〈騒ぐものは騒げ、俺は青空〉という詩もあった。人の心の青空がひときわ恋しい夏である。
(2011年7月9日01時37分  読売新聞)

Friday, July 8, 2011

08/07 編集手帳

7月8日付 

 吉野弘さんの詩、『黒いかばん』の一節を。〈私は、ひどく嫌いなんだ/自分の持物を自分の身体の一部と感じない人が――/人込みの中、持物を他人にぶつけて平気な人が…〉◆一国の政治は大きな荷物である。背負う人が前触れもなしに回れ右をすれば、周囲が迷惑する。「安全性が確認された原発は稼働させる」方針を、菅首相が一夜にして反古ほごにした。一転、安全確保の新基準を満たさない場合には稼働させないという◆気の毒なのは、突然の方向転換で荷物の角に頭をぶつけた人たちである。原発を抱える自治体は朝令暮改に困惑している。上司の気まぐれに業を煮やしてか、海江田万里経済産業相は辞意をもらした◆政権の延命には「脱原発」を争点にした衆院解散をちらつかせ、批判勢力を牽制けんせいするに限る。世間受けのいい“脱原発の闘士”という仮面をかぶっておけば、野党は解散をいっそう怖がるだろう、シメシメ…と、気まぐれの裏側にゲスの勘ぐりをしてみる。首相の「卑」はどうやら小欄にも伝染したようである◆国政の荷が身に余るのなら、下ろせばいい。その人にはすげがさ金剛杖こんごうじょうが似合う。
(2011年7月8日01時40分  読売新聞)

Thursday, July 7, 2011

07/07 編集手帳

7月7日付 

 胸を患った石田波郷はある年の七夕を療養所で迎えた。患者たちがこしらえた七夕飾りのなかに、その二文字を見つけたのだろう。〈七夕竹たなばただけ惜命 しゃくみょうの文字隠れなし〉(句集『惜命』より)◆「命を惜しむ」と読むのが普通だが、感嘆符を添えて「命が惜しい!」と読んでみるとき、短冊を書いた人の息づかいがいっそう切実に伝わってくる。恋愛成就、立身出世、商売繁盛、志望校突破…その他どんな願いごとも、命あってのことである◆今宵こよい、多くの人が胸の奥に飾るだろう短冊の言葉も、おそらくは「惜命」の一語だろう◆七夕に似合う童画風の詩句ではなく、いつにまして病中詠に心ひかれるのは、あまりに多くの死に接したあとだからかも知れない。波郷には、病む胸を詠んだ落雷の句もあった。〈雷落ちて火柱見せよ胸の上〉(句集『病雁びょうがん』より)。雷よ、わが胸に落ち、火柱を立ててみよ、と◆人の命というものをじっと見つめる「七夕竹」の句と、ときに萎えそうな心にカンフル剤を注射する「落雷」の句と――二つの句のあいだを行きつ戻りつしながら、震災後を何とか生きている。そんな気もする。
(2011年7月7日01時30分  読売新聞)

Wednesday, July 6, 2011

06/07 編集手帳

7月6日付 

 「粗にして野だが卑ではない」は第5代の国鉄総裁、石田礼助氏の言葉である。総裁に就任して初めて国会に出たとき、自己紹介で語った。のちに城山三郎さんが、石田氏の生涯を描いた評伝の表題にそのまま用いている◆「粗」はあらく、こまやかでないこと、「野」は単純で洗練されていないこと、「卑」は言うまでもない。小欄流のおおざっぱな解釈をするならば、「粗」と「野」は品行の問題であり、「卑」は品性の問題になろう◆主人が奉公人をいびるように、あるいは古参兵が新兵をいじめるように、被災県の知事に向けて連発したその人の放言には「卑」の臭気が充満していて、映像を見るたびに胸が悪くなる◆相手が誰でも、こういう言葉遣いをする大人になってはいけませんよ…という教訓を世の子供たちに残し、松本龍復興相が就任から9日目で引責辞任した◆菅政権はどこまでちていくのだろう。お粗末な人選という「粗」と、延命の野心という「野」はすでに持ち合わせている首相である。例によって、任命責任には頬かむりを決め込むつもりだろうか。粗にして野にして「卑」でもある。

(2011年7月6日01時25分  読売新聞)

Tuesday, July 5, 2011

05/07 編集手帳

7月5日付 

詩人の
薄田泣菫すすきだきゅうきんはフランスの新聞を読んでいて、ある求人広告に目を留めた。飼っているオウムの発音が悪いのでフランス語の家庭教師をつけたいという◆オウムの話す言葉ひとつをもおろそかにしないお国柄に感心し、泣菫は随筆に書いている。岩波文庫『茶話』より。〈多くの代議士にいぬのような日本語で喋舌しゃべらしておいて、黙ってそれを聴く事の出来る日本人の無神経さがつくづくいやになる〉と◆いまではもう、イヌのような言葉遣いの政治家はいない――と思いきや、永田町とは広いものである。松本龍復興相には、オウム並みに家庭教師が要るかも知れない◆「知恵を出さないヤツは助けない」(岩手県庁で達増拓也知事に)。「九州の人間だから、(被災地の)何市がどこの県とか分からん」(同)。「お客さんが来るときは自分が(まず部屋に)入ってから(客を)呼べ」(宮城県庁で村井嘉浩知事に)。さぞかし心のこもった復興支援を講じてくれることだろう◆…と、ここまで書いて反省が胸をよぎる。たとえ比喩にしても「イヌのような…」は礼を失していよう。世のイヌ諸君、ごめんなさい。
(2011年7月5日01時14分  読売新聞)

Monday, July 4, 2011

04/07 編集手帳

7月4日付 
 速記者に代わって、コンピューターの音声認識装置が衆院の議事録を作り始めた。明治の議会以降、あらゆる論戦は速記者の耳と手を通して文字になり、膨大な議事録となった◆だが、リストラで速記者採用は5年前が最後となった。将来の速記者不在に備え、衆院と音声認識の専門家が開発した装置は議員らの発言の約9割を正しい文字に変換する。上出来だ。「速記者たちの国会秘録」(菊地正憲著・新潮新書)によると、速記の極意は「心を無にする」こと。雑念のない機械に向く◆装置には、国会でよく使われる言葉を記憶した「辞書」がある。森羅万象を扱う国会では、これが変換の成否を左右する。大震災と原発事故でベントやトモダチ作戦などが追加された◆それでも装置は速記者に及ばない。同時の発言を聞き分けられないため、速記者が委員会室で「見張り」を務める。変換ミスを直し、議事録を読みやすくするのも彼らだ◆本会議や予算委員会はヤジや混乱が多いため、速記者が担う。菅首相の間近で、信を失った発言を記録する。怒りで妙手が鈍らぬよう、いつもより心を無にする自制が必要だ。

(2011年7月4日01時16分 読売新聞)

Sunday, July 3, 2011

03/07 編集手帳 - 5月の扇風機輸入量が昨年の1・6倍になった


7月3日付

東京税関には、なかなか着眼点の鋭い職員がいるらしい。1か月前に「震災の影響でミネラルウオーターと紙巻きたばこの輸入が急増中」との発表を紹介したが、今度は「5月の扇風機輸入量が昨年の1・6倍になった」という◆無論、これも大震災の影響だ。エアコンに比べて電気を使わない扇風機が引っ張りだこで、月間輸入量は過去最高の321万台に。節電意識の高まりは喜ばしい◆先週日曜の読者投稿欄・気流のお題が「扇風機」だった。特に印象深く読んだのは、東京本社版に埼玉県の80歳男性が寄せた「質素と我慢に徹した明治生まれの父」の思い出だ◆1961年のやはり猛暑、病床の父のために扇風機を手に入れ、喜んでくれたのはよいが、〈「つけっぱなしは電気代がもったいない」とこまめにスイッチを切っていたのには恐れ入った〉◆団扇うちわから扇風機へ、扇風機からエアコンへ。世代が下るごとに電気と快適を当然視し、贅沢ぜいたくになったものである。せめて昭和くらいに戻ってみよう。もちろん高齢者や闘病中の方などは絶対に無理をなさらぬように。明治の美徳をあがめ過ぎるのもいけません。
(2011年7月3日01時17分  読売新聞)

Saturday, July 2, 2011

02/07 編集手帳 - ジェームズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』


7月2日付

 ジェームズ・ジョイスの小説『ユリシーズ』は邦訳版で数巻に及ぶ長編である。さぞかし長い歳月が描かれているだろうと思いきや、ある一日の、18時間の物語にすぎない◆文芸評論家の巌谷大四さんが若い頃に初めて読んだときの戸惑いを随筆に書いている。〈何しろ、第一章に水洗便所に入って新聞を読む場面があり、第十二章か十三章に突然、「あの水を流したかな」というモノローグがあるといった具合で…〉(三月書房『随筆おにやらい』)◆紙のなかに時間が凝縮された不思議な感じでは、今年のカレンダーも負けていない。きょうの正午は、ちょうど1年の真ん中にあたる。列島にはこの半年間に何年分の涙が流れただろう◆ユリシーズとは、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』(オデッセイ)の主人公オデュッセウスの英語名である。帰還の旅を描いた叙事詩から英語のオデッセイ(Odyssey)には「苦難の旅」という意味もある◆自宅に戻れない原発周辺の住民がいる。家族と離れて緊張の日々を送る作業員がいる。無事の帰還を一日も早く――と、折り返し点で祈らずにはいられない。
(2011年7月2日01時12分  読売新聞)

Friday, July 1, 2011

01/07 編集手帳 - しゃにむに居座りたいほど、首相の椅子とは座り心地の良いものなのだろうか


7月1日付

 初夏、ホトトギスがキョキョキョと鳴く。「てっぺん欠けたか」「特許許可局」…日本人はその声を、さまざまに聞きなしてきた。“新説”を『読売歌壇』より。〈聴きすに特許許可局とは鳴かでドッキョコリタカ独居懲リタカ〉(板坂寿一)◆選者、小池光さんの評に「鳥は変わらず、人の耳が変わる」とある。2年前に掲載された一首だが、発表された2010年国勢調査の集計を見ると、いよいよそう聞こえてきそうである◆一人暮らしの世帯が31・2%と3割を超え、夫婦と子供の世帯(28・7%)を初めて上回った。少子高齢化の落とす影が、また少し濃くなったようである◆子育て支援も一項目に含む「社会保障と税の一体改革」政府・与党案がきのう決まったが、政権の金看板に据えた改革のはずなのに、菅首相は閣内からの反対論を恐れて閣議決定を見送るという。計略のつもりであったにせよ、退陣を表明した首相の求心力とはこんなものだろう◆しゃにむに居座りたいほど、首相の椅子とは座り心地の良いものなのだろうか。やがてせみの声が「ツクヅクオイシイ」と答えてくれそうな気がする。
(2011年7月1日01時22分  読売新聞)

Thursday, June 30, 2011

30/06 編集手帳 - 語彙 ごい や技巧を超えた一語一語が読む者の目を立ち止まらせてやまない


6月30日付

 駆け出しの頃、陳腐な表現は使うなと、先輩記者に教えられた。宿舎の甲子園球児は「底抜けの笑顔」で食事を「ペロリとたいらげ」てはならず、景気のいい商店主は「えびす顔でうれしい悲鳴」を上げてはいけない、と◆さすがにもう、その種の失敗はしないが、「歯の根も合わぬ」寒さや「めまいのする」空腹は、いまも油断すると顔を出す◆〈夜は、画用紙一まいでねました〉(名取市・閖上小4年 玉田礼菜)。〈(もらった1個のおにぎりを)十分ぐらいかけて食べました〉(南三陸町・志津川小6年 小山嘉宣)◆「被災地のこども80人の作文集」と副題の付けられた雑誌『つなみ』(=「文芸春秋」臨時増刊号)には、紋切り型とは無縁の「寒さ」があり、「空腹」がある。〈4月10日におとうさんが、みつかり一週間後おとうさんのかそうをしました。とてもざんねんでした〉(石巻市・渡波小2年 鈴木智幸)。おそらく「かそう」(火葬)という言葉は、生まれてから口にしたこともなかっただろう。語彙ごいや技巧を超えた一語一語が読む者の目を立ち止まらせてやまない◆言葉の力とは何だろう。
(2011年6月30日01時15分  読売新聞)

Wednesday, June 29, 2011

29/06 編集手帳 - 〈六月や読めねど譜面美しき〉(堤一巳)


6月29日付

 公演は3日間。日本滞在は計102時間。ギャラ6000万円。警備に動員された警察官延べ8400人。その経費9000万円。補導された少年少女6500人余…◆その大騒動を、作家の半藤一利さんが著書『昭和史戦後篇』(平凡社)で数字にまとめている。英国のロックグループ、ザ・ビートルズの4人が来日したのは1966年(昭和41年)6月29日、45年前のきょうである◆補導された少年少女も、いまは還暦にさしかかる年齢だろう。「総選挙だか何だか知らないけど、同じCDを一人で何枚も買ってサ、そんなにまでして投票したいものかい? 最近の若いやつのやることは分からねえなあ…」。自分たちが熱狂した昔は高い棚に上げて、ぶつぶつ言っている人がいるかも知れない◆先日は美空ひばりさんの命日を取り上げたばかりだが、きょうは「荒城の月」を作曲した滝廉太郎の忌日でもあり、あすは「靴が鳴る」「浜千鳥」の作曲家弘田龍太郎の誕生日にあたる◆梅雨どきの憂鬱ゆううつを慰めてくれるかのように、唇にメロディーの浮かんでくる日がつづく。〈六月や読めねど譜面美しき〉(堤一巳)
(2011年6月29日01時21分  読売新聞)

Tuesday, June 28, 2011

28/06 編集手帳 - 名誉欲、色欲、金銭欲…煩悩にもいろいろある


6月28日付

 名誉欲、色欲、金銭欲…煩悩にもいろいろある。逸材を常に欲して“人材煩悩”と評されたのは、東京市長を務めて関東大震災の復興に尽くした後藤新平である。「午後3時の人間は使わない。お昼前の人間を使うのだ」と、語録にある◆感覚的な表現ながら、意味するところは察しがつく。退勤時刻を気にして尻の落ち着かない人に大事な仕事を任せるのは不安なことだろう。退陣をすでに表明している菅首相の場合には、日没も遠くない夕暮れである◆復興相を新設して震災復興の体制を整えたが、たそがれの人に率いられて、どれだけ機能するだろう◆復興予算に限らず、社会保障であれ、何であれ、腰を据えた財源論議は期待しにくい。辞める首相に、まともに外交の相手をしてくれる国はないだろう。引きずり降ろされる形で辞めたくない、というメンツ第一の“延命煩悩”は代償が大きすぎる◆暮れ方の薄暗い時刻を、昔の人は「おおまがとき」(逢魔時、大禍時)と呼んで警戒した。午後6時過ぎの首相が招いた国政の空白期に、これ以上の災難や凶事が持ち上がらないことを切に祈るばかりである。
(2011年6月28日01時53分  読売新聞)

Monday, June 27, 2011

27/06 編集手帳 - 恩師から受けた学問上の恩を「学恩」という


6月27日付

 恩師から受けた学問上の恩を「学恩」という。ふとそんな言葉を思い出す追悼集『こまがまわり出した』(東大出版会)である◆主人公は3年前に86歳で亡くなった政治学者の斎藤眞さんだ。東大教授などを務め、戦後日本のアメリカ研究における大御所で、「マコちゃん先生」の愛称で親しまれた。薫陶を受けた各界110人余りによる文章からは幅広い人脈がしのばれる◆追悼集の編集代表で、国際ジャーナリストの松尾文夫さんは、斎藤さんが米国を「空間論」で捉えていたと回顧する。大西洋で隔てられ、欧州の権力政治に関わることのなかった米国は、欧州文明と異なる文明を広める「文明宣教の意識」をもつ、と指摘したという◆元留学生の金栄作キムヨンジャク・韓国国民大学名誉教授は、斎藤さんから「李鍾贊イジョンチャンを知っているか」と尋ねられた。斎藤さんと共に日本軍将校としてニューギニアで戦った戦友だった。これが縁で斎藤さんはその後、韓国で陸軍参謀総長も務めた李さんと再会した◆追悼集のタイトルは終戦直後、学究活動を始めた頃の自作詩の題だ。斎藤さんの人生のこまは今も静かに廻っているかのようだ。
(2011年6月27日01時10分  読売新聞)

Sunday, June 26, 2011

26/06 編集手帳 - 悪法は二度と作らぬ、の誓いと受け取った


6月26日付

 <らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の碑>と刻まれている。先週、厚生労働省前で催された除幕式を見て、予防法廃止に尽力した今は亡き2人のことを考えた◆京都帝大医学部助教授だった小笠原登氏。ハンセン病は感染力が微弱で治癒可能だとして、予防法による患者の強制隔離や、子孫を断つ断種手術などをやめよと主張した。が、1941年の学会で「地球を四角だと言うに等しい」と糾弾され葬られる◆大学で小笠原氏に師事した大谷藤郎氏。旧厚生省に医系技官として入り、療養所患者の待遇改善を進めた。退官後は、根本解決を目指して、予防法廃止の必要性を学会などで主張した。師弟の志は半世紀を経て、96年の予防法廃止につながった◆「法が患者を蔑視・差別する根拠としてまかり通ってきた。正しくないだけでなく、加害行為であり、社会的、人道的に決して許されるべきものではなかった」。大谷氏の『らい予防法廃止の歴史』(勁草書房)にある◆当時の厚相は菅直人氏。除幕式で、菅首相は「二度と過ちを繰り返さない」と語った。悪法は二度と作らぬ、の誓いと受け取った。
(2011年6月26日01時32分  読売新聞)

Saturday, June 25, 2011

25/06 編集手帳 - 小さな買い物ひとつにも、何かを考えさせてくれる震災である


6月25日付

 机に据え付ける金具が折れて、自宅で使っている卓上スタンドを買い替えた。今度のは半導体の一種、発光ダイオードを光源にするLED電球である。少々値段は張ったが、こういうご時世でもある。消費電力は白熱電球の約5分の1、寿命は約5万時間!――と告げる売り場の広告パネルに負けた◆不摂生の身で帰宅は深夜が多く、平日は2~3時間ほどの点灯である。計算してみると、どうやらスタンドのほうがご主人よりもずっと長生きするらしい◆そう考えだすと何やら、スタンドを使っているというよりは、自分の次にこのスタンドを使うだろう誰かから光を拝借しているような、そんな気分にさせられるから不思議なものである◆アメリカ先住民の語り伝えをものの本で読んだことがある。〈自然とは祖先から譲り受けたものではない。子孫から借りているものだ〉。そう記憶している。新しいスタンドを前にしての、わが愚考といくらか似ていなくもない。里山、海、空気…子孫から借りながら傷つけてしまったものの数々に思いあたる◆小さな買い物ひとつにも、何かを考えさせてくれる震災である。
(2011年6月25日01時19分  読売新聞)

Friday, June 24, 2011

24/06 編集手帳 - 「津波に耐えて、いまも歌っていますよ」


6月24日付

 美空ひばりさんの『みだれ髪』(詞・星野哲郎、曲・船村徹)は福島県いわき市の「塩屋岬しおやのみさき」を舞台につくられた。ゆかりの地に、ひばりさんの遺影碑と石像が立っている。人が近づくと歌声が流れる仕掛けである◆「津波に耐えて、いまも歌っていますよ」。先日、船村さんからそう教わった。年間に10万人もの観光客を招き寄せてきた“稀代きたいの歌姫”はきっと、大震災から立ち上がる地元の人たちに手を貸してくれることだろう◆敗戦の焦土に生き惑う日本人を歌で励まし、復興を見届けたかのように52歳で世を去った。きょうは没後22年の命日にあたる◆『一本の鉛筆』(詞・松山善三、曲・佐藤勝)も忘れがたい。一本の鉛筆があれば/人間のいのちと 私は書く/…一枚のザラ紙があれば/あなたをかえしてと 私は書く…。親を亡くした子、子を奪われた親、伴侶を失った夫に妻――震災のニュースで見たあの場面、この場面が浮かんでくる方も多かろう◆死の前年、病身で臨んだ伝説の公演がその名も「不死鳥コンサート」であったのを思い出す。いままた、いくつもの歌に羽ばたきの音を聴きつつ。
(2011年6月24日01時22分  読売新聞)

Thursday, June 23, 2011

23/06 編集手帳 - 季節を迎えるのにも稽古は要らない


6月23日付

 拾遺和歌集に夏の短夜みじかよを詠んだ歌がある。〈夏の夜は浦島の子が箱なれやはかなくあけて悔しかるらむ〉。夜が「明ける」と、玉手箱を「開ける」を掛けている。浦島太郎も、いびきの恋人たちも、はかなくあけて悔しかろう、と◆一年で夜が最も短い夏至のきのう、日本列島は明けてびっくりの暑さに見舞われた。真夏の神様が日差しの“試供品”を置いていったかのように、早くも猛暑日を記録したところもある◆〈季節は/巡り来るたびに取り出される/一枚の衣装で/過ぎれば/薄く薄く折りたたまれる〉。石垣りんさんの詩『春』の一節だが、梅雨が折りたたまれるのも今年は早いのか、どうか。節電の夏だけに、気になるところである◆被災地の人々を思えば、これしきで弱音は吐けないと、夏本番に備えた練習のつもりで黙々と仕事に励んだ方もあったろう◆「暑い、暑い」は商人の「忙しい、忙しい」と一緒で、嘆きながらも活気がある。〈稽古して走る風なし稽古して咲く花あらぬうれへず生きむ〉(伊藤一彦)。季節を迎えるのにも稽古は要らない。「暑いぞッ」と大いにボヤく夏もよろしい。
(2011年6月23日01時14分  読売新聞)