Saturday, April 23, 2011

20/04 編集手帳

4月20日付 

 浪曲師の二代目広沢虎造は東京・浅草の自宅で関東大震災に遭った。家事を手伝う少女を連れて避難したが、食べるものがない。ある町で握り飯の炊き出しをしていた◆「子供が腹をすかせています。一つ、いただけませんでしょうか」「町内の方じゃありませんな。よその方には差し上げられません」「子供の分だけでいいんです」「お断り致します」◆虎造は死ぬまでその町の寄席には出演しなかったと、吉川潮さんの虎造一代記『江戸っ子だってねえ』(NHK出版)にある。つらいときに受けた心ない仕打ちは胸に深く刻まれて残る◆本紙『気流』欄(東京版)で、気持ちのふさぐ投稿を読んだ。福島県から他県に出かけた人の車(会津ナンバー)に、駐車場で誰かが「帰れ、来るな」と落書きをしたという。人への風評被害が広がりつつあるらしい◆被曝ひばくの危険を顧みず、原発事故の処理にあたる人たちがいる。小さな手に握りしめたお小遣いの10円玉を、爪先立ちして募金箱に入れる幼子がいる。皆が“心の握り飯”を被災者に持ち寄ろうとしているときである。顔が赤くならないかい、落書きの君よ。

(2011年4月20日01時16分 読売新聞)

No comments:

Post a Comment