Saturday, April 23, 2011

21/04 編集手帳

4月21日付 

 俳句は五七五、短歌には七七がつく。俳句と違って短歌では構造上、「め息」や「憤り」が表れる――と、詩人の大岡信さんは言う◆〈五七五だけなら情景描写のみでよいが、七七がつくと、その情景の中に人がいて、その人がどう思ったか、どうしたいかを書かなければ成り立たない〉(講談社『百人百句』)。名のある俳人が本職の俳句ではなく、あえて短歌の形を選んだのも、内なる「溜め息」と「憤り」に突き動かされてのことだろう◆本紙の『四季』欄でおなじみの俳人、長谷川櫂さんの『震災歌集』(中央公論新社)には東日本大震災を詠んだ119首が収められている◆〈かりそめに死者二万人などといふなかれ親あり子ありはらからあるを〉。また、〈被曝ひばくしつつ放水をせし自衛官その名はしらず記憶にとどめよ〉。あるいは、〈顔見せぬ菅宰相はかなしけれ一億二千万人のみなし子〉。どの溜め息も、憤りも、いまだ過去にはならず、現在進行形であるのがやりきれない。被災者のいらだちが調べに重なる◆あの頃は…と、記憶の小箱として歌集をひらくことのできる日が来るのはいつだろう。

(2011年4月21日01時29分 読売新聞)

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