Saturday, April 23, 2011

21/04 余録:明治時代に電話ができたころだ…

 明治時代に電話ができたころだ。当時流行したコレラが電話を通して感染するという流言が広がった。電話のベルが鳴ったので、悲鳴をあげて逃げたという話まであった。電線の下を横切る時ですら、扇子で頭を覆う人もいたという▲米国の社会心理学者によると「流言の量は問題の重要性と状況のあいまいさの積に比例する」そうだ。コレラは当時、命にかかわる重要問題だった。一方で電話は庶民が見たこともない、えたいの知れぬ新製品だった。いかにも流言がなされやすい組み合わせである▲さて今、その定理にピタリとあてはまるのが放射能だ。被ばくは重大問題だが、放射線そのものは見えもしなければ、臭いもしない。浴びる放射線量と健康へのリスクの関係も一般には分かりにくい。まさに流言の温床だ▲さて「風評被害」という時の「風評」は根拠のない流言のことだ。福島第1原発事故に伴う農産物や水産物の風評被害は深刻である。だが一方で福島県産野菜のネット販売が好評と聞けば、風評に惑わされぬ被災地への強くしなやかな連帯の健在を知ってほっとする▲だが驚くのは福島県から避難したり、旅行したりする人々がホテルの宿泊を断られたり、入店を拒まれたりしているという情報だ。なかには「放射能がうつる」といじめを受けた子供もいたという。「心ない」ととがめるよりも先に、聞くだけで心を暗く沈ませる話だ▲電話のベルにあわてて逃げるのは勝手だが、困っている人の心を蹴飛ばしてはいけない。この震災の被災者を通し世界は日本人の「品格」や「冷静」を称賛したが、まさにその評価に泥を塗る風評差別だ。
毎日新聞 2011年4月21日 東京朝刊

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