Sunday, April 24, 2011

18/03 〈世界から被災地へ〉「希望捨てぬ 力になりたい」 韓国隊、悲痛の捜索

2011年3月18日

行方不明者の捜索にあたる韓国の救助隊員=15日午前9時49分、仙台市宮城野区蒲生、韓国紙・東亜日報の元大淵氏撮影


 東日本大震災の被災地で、韓国の救助隊105人が行方不明者の捜索活動にあたっている。家や道路などすべてが破壊し尽くされた中で、がれきや泥をかき分ける。「生きている人がいるかもしれない。希望は捨てない。皆さんもどうかこの困難を乗り越えてほしい」――。李東星(イ・ドンソン)団長(52)が語った。

 韓国の救助隊が日本で活動するのは初めて。先発隊が12日に宮城県入り。14日に音波探知機や救助犬、消毒用の薬品、川や海の中に潜水できる器具などを携え、本隊が加わった。仙台市若林区荒浜や多賀城市の現場で3チームに分かれて捜索活動をしている。

 韓国は80年代後半から本格的に人命救助の技術を学び始め、日本の消防庁からも多くの支援を受けた。その日本で救助活動をすることに。「言葉に出来ないほどの苦痛を受けている方々のため、少しでも力になりたい」という。

 15日、仙台市宮城野区蒲生の現場。家と家は折り重なるようにつぶれ、ひっくり返った車両には鉄の棒や木材が突き刺さっている。中国・四川やハイチの被災地では、建物などの隙間に生存者がいた。しかし、今回の地震では津波が街を丸ごとのみ込んだ。「本当に心が痛んだ」

 それでも、もしかしたらどこかで助けを待ち望んでいる人がいるかもしれない――。

 汚れた家具、食器、布団、洋服などを取り除いていると、少し前までここにあった幸せな暮らしに思いが及ぶ。割れた写真立ての中から、家族の笑顔がのぞいていた。

 しかし、つぶれた車両や建物の中、下水溝の下からは次々と遺体が見つかった。日本の習慣にならい、手を合わせ冥福を祈った。

 「息子の嫁が見つからないままなんです」「会社の同僚があっちに流されていくのを見た。なんとかお願いします」。絞り出すような声だった。「捜してみます」。そう答えながら、胸が張り裂けそうになった。

 一緒に捜索する警察の人手が足りない現場では、捜索活動だけでなく、遺体の収容もした。福島原子力発電所の放射能漏れにも神経を使い、綿密に検査機で調べている。

 宿舎は現場近くの運動場にある駐車場で、テント張りの滞在。強い吹雪があると、中まで雪が舞い込む。「ありがとう」「カムサハムニダ」とお礼を言ってくれる住民たちの言葉が、支えになる。

 被災者に伝えたいことは――。そう問いかけると李団長は答えた。「どんなに大きな困難でも、どうか希望と勇気を失わないでほしい。私たちもわずかでも力になれるよう力の限りを尽くしますから」(清水大輔)

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