Sunday, April 10, 2011

30/03 余録:被災地の心の傷

 「渡り尽くす東西の水/三たび過ぐ翠柳(すいりゅう)の橋/春風吹いて断たず/春恨幾条条(いくじょうじょう)」。春風が吹いても断ち切れぬ春の恨み、それが緑の柳のいくつもの枝のように揺らいでいる--夏目漱石の五言絶句だ▲野や山が新芽で色づき、生命が一斉にあふれる春は、逆に人を愁いや恨み、物思いに沈ませもする。震災以来、冷え込んだ天気がうらめしかった被災地だが、ようやくやってくる春めいた陽気にもかえってつのる悲しみもあろう。いや、それは被災地ばかりではない▲震災の惨状を伝える映像やニュースを見聞きしているうちに不眠などに陥る例は阪神大震災でも報告された。今回も震災の被害の少なかった場所でもニュース映像や余震のストレスで体調不良になる人々が増えているという。まさにすべての国民が被災者ともいえる▲ただテレビを見ただけで人の心を引き裂く震災ならば、そのさなかで不安な避難生活と余震の恐怖におののく人々の心中はどれほどだろう。親を失った子、子を救えなかった親……「心の傷」という通りいっぺんの言葉がうとましく聞こえる凄絶(せいぜつ)な体験も数知れない▲福島県では農家の男性が原発事故の影響による野菜の出荷停止決定の翌日に自殺していたという報道もあった。自宅で避難生活をする人も多いなか、震災被害を孤立して受け止める人々の間の抑うつ症状も心配されている▲こまやかな思いやりや心のケアが求められる一方、救援車両に遠県の地名を見るだけで元気づけられるという被災地だ。ならばここではっきり伝えたい。今、全世界の人々の心は被災者と共にある。その誰であれ決して一人ではない。

毎日新聞 2011年3月30日 0時06分

No comments:

Post a Comment