Sunday, April 10, 2011

09/04 余録:「余震」の無慈悲


 平家が壇ノ浦で滅びた元暦2(1185)年、その7月9日に京都を襲った大地震では体に感じる余震が実に3カ月近くも続き、約230回に及んだ。そんなに詳しく分かるのは公家の中山忠親が日記「山槐記(さんかいき)」に克明に記録したからだ▲法勝寺九重の塔を倒し、宇治橋を崩したこの地震だが、「山槐記」は翌月の法会の記事の後に記す。「地震の事、今日に至る四十七日間一日も止(や)まず。或(あるいは)四五度、或両三度、或大動、或小動、皆そのたびごとに声あり」▲まさに「皆そのたびごとに声あり」という被災地の「大動」だった。過日テレビで小さな余震におびえて泣いていた避難所の幼い子にはどんなに怖かったことだろう。7日深夜、被災者をことさらさいなむかのように揺るがしたマグニチュード(M)7・1の余震だ▲震災から間もなく1カ月。まだ1万5000人近くの行方も分からないのに、新たな地震による死者の報である。復興へとようやく気持ちも立ち直ろうかという時によみがえった悪夢、そして広域停電やインフラ復旧作業の後戻りだ。自然の非情が何ともうらめしい▲この巨大地震ではすでにM5以上の余震が約400回発生し、過去10年の全国の年平均地震回数の3倍を超える。気象庁によると、より大きな余震の起こる可能性も否定できない。また余震域以外の地方の地震発生率も震災前の数倍に増えたと聞けば、不気味である▲つまりは列島の住人すべてが震災は今も続いていると覚悟すべきなのだろう。震災が無慈悲で、執拗(しつよう)であればあるほど、人はお互いにもっとやさしく、もっと強く支え合えることを示さねばならない。

毎日新聞 2011年4月9日 0時02分

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